これまであなた(転職者)に注いだ愛情と経費を返してくれ!
転職する方も必死だが、転職される側も会社の一大事となることがあります。会社の規模、在職中のポジション、退職を言い出した時期、本人への将来の期待度などにより、転職者がもたらす会社へのインパクトは様々です。
私のこの体験談は、中堅規模の会社の重要ポストで仕事をし、将来に大きな期待を寄せていた34歳の社員Aが突然退職を申し出た事例です。晴天の霹靂とはあのことで社内全体に衝撃が走りました。
人事の要職にあった私は困っている余裕などなく、当然傷口の手当から新しい組織の移植まで奔走することになりました。これは決して「たまたま」の出来事ではなく、特に中規模以下の会社ではよくあることとしてお読みください。
- 執筆者の情報
- 名前: 高関健二(仮名)
性別: 男性
年齢:55歳
業界(歴): 流通業(25年)原料商社(8年)
職種(歴):営業職(18年)人事・総務関連(15年)
重要ポスト社員の退職願い
私の経験した会社は工業用原料を扱う商社で、社員が100人以下の中堅企業でした。社員が100人以下といえば、大企業の1部門程度で会社組織としては余裕のない規模です。
平たく言えば、所属社員の能力レベルの差はいろいろあったとしても、どの人にも辞められたら困るという規模なのです。
ちなみに大企業だと、ある仕事やポストに最適の専任担当者がいるとしても、フォロワーが必ずいて欠勤や休暇はもちろん、急な退職を含めて何らかの事情で穴が開いてもカバーできるシステムになっています。
典型的な例では、役職に「副部長」や「次長」を配するのはそのためです。
これが中堅企業以下や中小企業となると、人件費コストと生産性の観点でまずフォロー職の配置はまずもって無理というのが現実です。
しかも、限られた数の部長級や課長級の役職に就いている社員にかかる責任度は大きいものがあります。
突然退職願いを言い出してきた社員Aは、4つある営業所の所長ポストにある人でした。中堅・中小企業では「副所長」ポストはめったにありません。つまり、「エッ!辞めるの!?まさか!あと誰がするの?」が正直なところでした。
「なぜ?何があったの?いつから辞めようと思ったの?」と、次々と聞きたいことがあるのも事実ですが、人事の責任者としては「あと誰がするの?冗談でしょ!代わりがいないのに辞めないでよ!」が本音です。
社長以下、会社幹部も同様の感想でした。
これまでの愛情=期待度
どこの会社でもそうですが、これと目を付けた人物には将来の幹部ポストをにらみながら要職を歴任させる「ジョブローテーション」をするのが普通です。
突然退職を言い出したAの場合は、営業所長の前のポストである営業主任時代から期待をかけ、会社にとって最も営業扱い高の多い、上得意先を担当させていました。
そこでは安定的に営業活動をこなし、会社に大きな貢献をしてきました。その実績があるからこそ、今回辞めることとなった営業所長のポストへの抜擢も可能になったのです。
当然、所長という管理ポストなので部下8人を与えられ、初めてマネジメント業務もすることになりました。
一方、国内取引に加えて海外ビジネスにも精通できるように、研修目的で海外出張に頻繁に行かせました。
海外取引の実務や海外市場視察が主目的ですが、ビジネス会話もできるように営業所長の勤務期間であった6年の間に、延べ90日間、中国、ヨーロッパ、シンガポール、フィリピンの4地域6カ国に出張させました。
海外拠点には駐在員が常駐しているので、実際の取引が増えることにはならず、その都度の出張経費だけがコストとして乗ってきました。つまり、将来の海外駐在所所長も視野に入れて、投資以外の何物でもなかったのです。
さらに言えば、Aの同期入社社員がそのことによってヤル気を失わないよう、逆にライバル同士として競争し続けるような対策をとってきました。
たとえば、社員の成績表にあたる人事考課表は、本人同士が見比べることを前提に決して差をつけないように配慮してきました。
幹部候補生という言葉がありますが、これは他の社員への公平性からあからさまに言わないまでも、人材育成的には必要不可欠な言葉です。
会社人は自分で育つのではなく、会社全体が環境を整えてあげてこそ育つ要素も多分にあります。会社的には「愛情」であり、「愛情=人的投資=経費」なのです。
辞める本当の理由
さて、その愛情を「裏切られた」と言うと非常に聞こえは悪いのですが、そう思わざるを得ないのが突然の退職という現実です。
A本人も、会社の愛情を感じていたはずだし、事実、入社後十数年間は期待に応えて頑張っていたので余計にそう感じます。
辞めるという一報を聞いて、当然、我々は事情聴取と引き留め工作をしました。
私自身これまで何度も中途退職願の受理や手続きに立ち会い、彼らの“退職願いの理由”を聞いてきましたが、どんな慰留策を講じても「まず、ひるがえることはない」というのが現実です。
私だけでなく、Aと社内で特に親しかった人物に“本音”を聞かせる試みもしましたが、入社数年目の若手社員が仕事が面白くなくて辞めたいというのとは違い、決心の堅さは変わりませんでした。
働き盛りの中堅社員の「辞める」は、即、他社への転職を意味します。つまり、転職先に目処がついての退職届というのは容易に察することができます。
「独立」「家業を継ぐ」も十分ありえますが、ライバル社など同業他社への転職のカムフラージュにされることもあります。
今回の例は、「まだまだ若いので、やりたいことがある」が表向きの理由でしたが、1年後に「同業他社への転職」だったことが判明しました。
引き留め策より今後の対策
経験からして、引き留め工作は時間の無駄です。
「なぜ?当社の何が気に入らないの?いつから考えていたの?」といった疑問は残りますが、そんな会話はさっさと切り上げ、「自己都合退職」の書類に印鑑をもらうこと、そして頭は次の人事の善後策に集中することにしました。
突然欠員状態になったポストの穴埋め方法は2つしかありませんでした。1つは内部からの昇格、もう1つは中途採用による穴埋めです。
その営業所長ポストはいくつかある営業所の中でも、取扱高の大きな営業所で運営が難しく、中途採用で経験のない他社からの人材を探すのはあきらめました。
その代わり、辞めたA本人とライバル関係にあった某営業所所長を急遽異動して一旦埋め合わせをし、空いたポストにはその営業所内で力をつけていた中堅社員を昇格させました。そして、その後釜を中途採用で探すことにしました。
簡単そうに聞こえますが、社内でいろいろ異なる意見が出る中でコンセンサスを取らなければなりません。
そして、これを約1ヶ月の間に終わらせるのは大変忙しい業務でした。
それぞれの2か所の営業所管轄の取引先へのケア、転居する某営業所長の身辺整理、そして中途採用手配と選考業務の組み立て、組織再編後の社内への周知徹底といった業務に追われました。
転職される側の損得勘定
たかだか70〜80人の中小企業でも、知恵を出せば一応は空いたポストの埋め合わせをすることはできます。
某営業所の中途採用の新人は、同じ業界の経験者を探していましたが、結果は業界にはまったくの素人で、多少の営業経験がある程度でした。しかし、非常に素直な好青年だったので育て甲斐があると判断し採用することにしました。
ただ、辞めた中堅社員の代わりがこの新人になっているという、この営業力の差は会社にとっては間違いなく戦力ダウンと言わざるをえません。
長期的にも、これまでの人的投資が未回収のままになってしまったというのは会社にとっては大きな損失となりました。
「転職騒動」が一段落した後、社内会議でちょっとした反省会をしました。会社から転職者を出すということは会社内に何らかの問題があるということも考えなければなりません。
去る者追わずの発想もイイのですが、会社として反省すべきところは反省しないと、いくら優秀な人材を採用してもすぐ辞められたらイタチごっこになってしまいます。
今回辞めた当該者にかけた人材育成費用もバカになりませんが、新たに採用した人間の採用コストも大きいものがあります。採用方法は民間人材会社による紹介です。入社契約時の年俸の約30%を紹介料として人材会社に払いました。
年収を約400万円で契約していたので、今回の採用コストはこれだけでも約120万円かかりました。
もちろん、折込みチラシ的な安価な採用媒体への掲載や、ハローワークのような公的機関への無料求人紹介もありますが、集まってくる応募者の量と質とのかねあいで、安かろう悪かろうでは、そちらの方が結果的にはコスト高になってしまいます。
まとめ
会社から転職者を出すことで得なことはひとつもないかというと、そうとは言い切れないことがひとつだけあります。それは、転職者がなぜ会社を辞めることになったのか調べ、今後に生かせるチャンスになったことです。
会社を辞めた理由は、突き詰めればやはり当社への不満があったことに気付きます。
正式に表面化しない退職理由として、給料が安い、サービス残業が多い、上司が大嫌いだ、やりがいがない・・・など、むしろ本音的な理由が必ずあります。
残されたメンバーの気持ちは、ほとんどが「なんてひどいヤツだ!」でしたが、「辞める気持ちもわかるよな~。」というメンバーがいたかもしれません。
前段述べたように、「転職騒動」は1ヶ月で終了し、2か月も経てば何もなかったかのように動いていて、辞めた人物のこともすっかり忘れてしまっています。これが、会社というイキモノです。
しかし一番怖いのが、表向きは「なんてひどいヤツだ!」と言っていますが、同一人物が「辞める気持ちもわかるよな~。」と思っているかもしれないということです。
彼が次の転職予備軍にならないよう、常日頃から社員の気持ちを汲みあげて待遇や処遇改善に勤めなければならないというのが大きな教訓です。
この記事の筆者
高関健二(仮名)
企業で何人も転職者の面接をしてきました。その後、私自身が転職し、今度は反対にその経験から転職者を支援する仕事もしました。企業の面接経験では、こんな人は絶対受からない、逆にこういう人は非常に好感を持たれ面接をパスできる人だというのがよくわかり、一方、支援する仕事ではそれを転職者にアドバイスしてきました。この両経験から、転職者の役に立つ体験談とヒントを紹介したいと思います。