転職エージェントプロ「小玉崇」

koda

1975年生まれの40歳。新卒で入社した企業で人事として一気に役職をあげ成功するものの、ベンチャー企業の人事の立ち上げの仕事を依頼されて転職。

転職先ではゼロから企業の人事の組織を作り上げることに成功した。その後に2度転職し、3度目の転職先の企業では、人事部長として転職エージェント事業の立ち上げに携わる。競合他社の多い業界に新規事業としての参入でありながら、初年度5億円の売上という驚異的な実績を達成する。現在も人材業界にて転職者の支援に一貫して従事。

転職者に常に寄り添う事をモットーに、転職後のフォローも行いながら、これまで数百名の転職者を支援。特にIT業界やベンチャー企業へのパイプを強みとしながら、現在も初心を忘れず人材業界で日々、精進中。人材業界は経済の波に左右されやすい業界である為、先を見ながら転職者のエージェント活動を行っている。

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自己紹介

プロフィールとして私のこれまでの経歴を大学時代から現在に至るまでご紹介したいと思います。

ラグビー漬けの大学時代

大学時代は中学、高校と続けていた体育会のラグビー部に所属し、体が緑色に、そして頭の形が楕円形になるのではないかと思うぐらい朝から晩までラグビー漬けの毎日を送っていました。

ラグビー推薦でしたし、何よりラグビーが大好きで、また、練習漬けの毎日でしたので、勉強の方はというと、『それなりに』という程度でした。

将来は社会人ラグビーに入り、いずれは日本代表を目指そうと考えていましたが、大学3年時にケガをしてしまい、そのケガが治らず、ラグビーの道を断念して、民間企業に就職しようと考えました。

もちろん、なかなか気持ちの切り替えができず、就職活動もあまり力が入らずという状況でした。

ラグビーは就職に強かった!

私は、途中でケガをしていまい選手生命を絶たれましたが、ケガをする前まではレギュラー選手として全国大会などにレギュラーとして出場したり、ある程度の実績がありました。

気持ちの切り替えができず、自分自身としては一生懸命、就職活動をしていたとは言えませんでしたが、中学、高校、そして大学までラグビー一筋に頑張ってきた姿勢を企業から評価され、面接を受けた企業のすべてから内定を頂くことができました。

世間的にも良く言われますが、体育会系の学生、特に、私が経験したラグビーや硬式野球、アメフト、応援団は、就職活動では引っ張りだこです。私も、この鉄板的な法則の恩恵を受けて、自分としてはあまり頑張っていなかったものの、受けた企業からすべて内定を頂いています。

通信業界の大手企業へ入社!

合計で20社ほどの内定を持っていた私は、その中から、自分のラグビーで培った経験を活かせると考え、営業職として通信業界に属するある大手企業へ就職することにしました。

営業と体育会系の部活は良く似ていて、実力主義、結果主義というシビアな世界で自分を磨いてみたいと考えたのです。当時は、今のようにベンチャー企業が多くはなかったですし、新卒で入社するなら、ある程度の安定は確保したいと思ったため、安定基盤の中で、自分を追い込む環境として営業を希望したのです。

甘くなかった営業職

ラグビーの練習は本当に厳しく逃げたくなるようなことが多くありました。また、体育会系独特の理不尽な縦社会を毎日経験して精神面も鍛えられたと思っていました。そのため、ラグビー以上に厳しく苦しい環境はないだろうと思い、厳しい職種の営業を希望したのですが、営業職は甘くなかったです。

ラグビー部時代に経験した縦社会や結果主義、実力主義という性格は同じでしたが、ラグビーとは違う意味で厳しいことがありました。

数字に追われる日々・・・

ラグビーも頭脳を使うスポーツですが、営業はまた違った意味で頭を使う必要がありました。企業へ営業する際の企画書や提案書の構成を考えたり、細かい数字の見積もりを作成しなければなりません。

通信業界はどんぶり勘定ではなく、極端なことを言えば1円単位で見積もりを作成することも必要でした。更に競合他社よりも良い提案をすることも必要で、また、営業先との駆け引きも必要でした。

入社して1ヶ月程度は研修ということで業界勉強や自社商品も勉強をしましたが、やはり、座学と実践は違います。

ラグビーをやっていたということをアピールしても、営業先の担当者はそこまで食いつくことはなく、『そうなんですね、体が大きいですもんね。』で終わりです。

私は、ラグビーの話で営業先の担当者の心を惹きつけようと考えていましたが、その戦略も崩壊でした。どの企業も遊びやボランティアで経営している訳ではないですし、しっかりした提案内容を求めています。

結果が出るまで、『根性』、『根性』、『根性』という思考で営業生活を送っていましたが、時は過ぎるばかりで、営業成績はまったくでした。

営業マンとして現場に出ると、当然、毎月の営業目標が新人である私にも与えられ、毎日、数字に追われる日々で、精神的に追い込まれたことを鮮明に覚えています。

例えば、休日に友人と遊びに行った先で、ふと目に入ったライターの製造企業が記載されていれば、すぐにメモを取り出し、そこに記載された企業名と電話番号を控えたり、どんな時でも営業のことが、数字のことが頭から離れない状況でした。

今思えばですが、かなり精神的に苦しかったのだと思います。

根性に質が加わった1年後

あながち根性論は間違ってはいないと思いますが、ただ、営業活動の量をこなし、何も考えず根性で数をこなしてもまったく意味がありませんし、成長がないことに営業として活動して数カ月で気付きました。

もともとラグビーで培った健康体とタフな精神力、そして根性やガッツはありましたので、そこに『考えること』を加えてみようと思ったのです。

考えることで営業の質は飛躍的に向上して、1年後には、自分でも恐ろしくなるぐらいの営業成績を毎月上げていました。

新卒で入社したその企業は、全国的にも有名で、CMも盛んにやっている企業で、営業マンだけで全国に数千人いました。

私は、持ち前の根性と、考える営業の抱き合わせにより、入社3年目には全国トップの営業成績を残すことができました。今思えばですが、当時は、結構、凄かったのではないか?と思っています(笑)

営業から人事へ

営業時代の最終の職位は営業課長ということで、当時の最年少記録を出し、『さぁ、これからだ』と思っていたのですが、ある日、社長から直々に食事の誘いがあり、その食事の席で、『人事には興味はないか?』と聞かれたのです。

人事という仕事はある程度、どのような内容の仕事かは把握していましたが、営業である程度の実績を残し、それ相応の給料もあり、最初はあまり乗り気でなかったです。

しかし、1ヶ月ほど熟慮してなかで、中長期的な自分のキャリアを考えると、人事というポジションは非常に魅力的に感じ、営業の職位や年収を捨てて、人事として生きていくことを決意しました。

最初は、人事の主任というポジションからスタートで給料に関しても営業時代よりもはるかに下回るものでしたが、頑張るしかないと前向きに捉えることができていました。

人事としても大活躍!

細かい話は割愛しますが、人事としても会社に貢献できたために、一気に役職も上がり、人事の最終職位は、人事課長です。

採用や教育、制度企画、労務、給与計算とほとんどすべてに関わり、人事としても自信をつけた頃でした。

既に新卒で入社して7年ほど経っていて、ある時、『このまま、この会社で一生を終わるのかな?』と漠然と何となく考えていたころに、営業時代から付き合いがあった、あるベンチャー企業の社長から人事課長として人事の立ち上げに協力して欲しいとお誘いがあったのです。

ゼロからの立ち上げを経験

私は、新卒で入社した企業に不満があった訳ではありませんが、しかし、従業員も非常に多く、ある意味では組織として出来上がっていたため、組織を作るということがほぼ不可能に近く、人事としては経営の基盤となる組織づくりをやってみたいという思いが強くありました。そんなときに、ベンチャー企業でまだ人事がなく、組織も未熟である企業からお声掛けを頂いたことは非常に魅力に感じたのです。

当時は、人事として、転職エージェントを活用して自分の市場価値や他の企業はどのような面接をするのか情報収取もしていましたし、そのなかで良い企業があれば転職してみたいという気持ちもありましたが、お声掛け頂いたベンチャー企業の方が自分のやりたいことができる環境だったため、悩みましたが新卒で入社した企業を退職しました。

安定よりも成長を期待した1回目の転職

その企業はベンチャー企業で、まだまだ未熟な組織だったため、経営としても安定はなかったですが、従業員に高い裁量権を与えて、個人の成長を後押ししてくれる社風がありました。

入社時は、人事課長として部下もなく、採用や教育、制度企画、労務とすべてを私ひとりでゼロから立ち上げていました。非常に忙しかったですが、その分、やりがいも多くありました。自分の成長には最高の環境だったと今でも思っています。

人事部として形になった頃には部下も新しく迎え、最終的に総務も含めて5名程度のマネジメントにも関わることができました。

この企業で数年、働き続け私の貢献が理由かどうか分かりませんが、業績も一気に上昇して、経営としても組織としても十分なレベルまで達していました。

そこで、また、私は、新卒で入社した企業のときと同じく、『結構、やり切った感があるなぁ』と思いましたし、『ゼロから立ち上げた経験を違った企業で使ってみたい』と思うようになりました。

私の性格は目標達成のためには時間を忘れて頑張れるのですが、目標を達成してしまうと、急にモチベーションが低下する傾向があります。

それが顕著に出ましたし、当時は30代前半ぐらいでしたので、年齢的にはまだ転職できると思っていました。前々からあるベンチャー企業から人事部長としてお誘いを受けていたため、ここで2度目の転職を経験しています。

ヘッドハンティングも経験

2度目の転職をする前後で、どこで私の情報を知り得たのか分かりませんが、あるヘッドハンティング会社から何度かお声掛けを頂くこともありましたが、条件が折り合わず、また、自分がやりたいことではなかったため、断っています。

恐らくですが、こんな私でもヘッドハンティングされるのですから、一生懸命に仕事をしていれば、結果は遅かれ早かれ出ますし、ヘッドハンティングされることはあると思います。

ヘッドハンティングの良い点は、企業からお声が掛かるために、現年収や現職位よりも高い条件で転職することが可能な点だと思います。

私もこの点は迷いましたが、まだ30代前半ということもあり、自分に成長を優先して自分のやりたいことができる環境がある企業へ転職しています。

3度目の転職は苦戦しました

2度目の転職で転職した企業でも数年、経験を積み実績も出し続けてきた自信はありました。そこで思ったことは、『これまで誘ってもらった企業でしか働いてないよなぁ』、『自分の本当の市場価値でどうなのかな』、『自力で転職活動したらどんな結果が出るのかな』という疑問を持つようになり、3度目の転職を決意します。

結論から言うと3度目の転職は30代中盤でしたし、自力で転職活動をしていたため、かなり苦戦しました。希望する職位が高かったこともありますが、これまでの自分のキャリアにはある程度の自信があったので、あそこまで苦戦するとは思いませんでした。

結局、1年かかった3度目の転職活動

現職に留まりながら転職エージェントを活用したり、転職サイトを活用したりして、転職活動をしましたが、なかなか自分の希望通りの条件で内定を得ることができず、気付くと1年が経っていました。

この1年がこのあと、ご紹介しますが、私のその後の人生に大きな影響を与えたと思っています。

1年後に、苦戦はしたものの、何とか転職することができ、その企業では人事部長として、また、新規事業として転職エージェント事業の立ち上げにも関わることができました。

それまで人事としての経験しかなく、転職エージェントとしての実務経験はありませんでしたが、人事として転職エージェントとは多く取引していましたし、ある程度の情報や仕組みは理解していました。

初年度、事業業績が5億円

1年目は、転職エージェントとしての法的な認可、情報収集、ビジネスモデルの構築などを行ない、実質的には2年目が初年度でしたが、その事業開始の初年度で5億円の売上を達成することができました。

転職エージェントは、労働集約型のビジネスモデルで、また、参入障壁が低く、企業規模に関係なく、多くの競合他社があるなかで、実質初年度に5億円の売上は非常に珍しいです。

私個人だけの貢献ではありませんが、事業責任者として良く頑張ったのではないかと思います。

自分の転職活動の苦戦が転職エージェントを志すきっかけ

私は3度の転職経験があり、そのうち3回目の転職活動は非常に苦戦して、いつかは自分も転職エージェントとして自分のように転職活動に苦戦している求職者を支援したいと思うようになりました。

転職エージェントの中には自社の利益や個人の営業成績を優先して、求職者に無理矢理に転職するよう働きかける業者もあり、求職者にとっては何を信じて転職活動をすれば良いのか分からない場合もあるのではないかと思ったのです。

このような業界状況を是正して、求職者、企業、転職エージェントも3者がお互いにハッピーになれる転職支援をしたいと思っていました。

転職エージェントは私の天職

転職エージェントとして数年、活動していますが、求職者の数は減ることはありません。むしろ、年々、増えているように思います。お蔭さまで業績は順調に右肩上がりで、求職者の方からも感謝の声を頂くことが多いです。

転職エージェントとしての業績は、求職者や企業からの感謝の数だと捉えて日々、誠実をモットーに活動しています。

人事としての経験、そして求職者としての経験を活かして転職エージェントとして活動することは、私としては社会貢献であり、自分もやりがいを持てるものだと思っています。

プロフィールのまとめ

最後になりますが、私は、学生時代はラグビーを頑張り、ラグビーを通じて健康な体とタフな精神力を身に付け、営業として考えることを学び、人事として企業は人であることを知りました。

また、転職エージェントとして、働くことは生きることであり、転職はその後に人生に大きな影響をもたらす重要なターニングポイントだということも知りました。

ラグビー、営業、人事の経験を現在は、転職エージェントとして遺憾なく発揮して日々、努力している途中です。

転職エージェントとして活動することで、多くの情報や経験を得ることができましたので、今後も、その情報や経験をもとにみなさんの転職活動のヒントとなるような内容を紹介できればと思います。

最後に転職を目指す方にアドバイスです。転職はゴールではなく、目標でもないです。転職後に長期的に活躍することが必要で、転職は手段に過ぎません。この点を勘違いすると転職後に良いビジネスライフは難しい場合が目立ちますので、是非、ご注意ください。

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