第二回 35歳男性の転職歴 ~倒産は突然に、それがベンチャーだと知る~

体験者の情報
名前:松澤 悠希(仮名)
性別:男性
転職経験:8回
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:20代~30代

立ち上げメンバーの恐怖

1社目である編プロ・A社を、とてもじゃないが円満とは言えない形で退職した僕だが、その心は晴れやかだった。

それは、辞表を叩きつけてから退職の間に、めでたく次の就職先が決まっていたからに他ならない。

実は、次の職場では漫画編集以外のことをやろうと思っていた。

先にも書いた通り、漫画編集というものは、人間関係がかなり特殊なのである。

また、他の媒体の編集と比べても(とはいっても、僕の狭い交友関係の中ではあるが)、その業務内容についてもだいぶ特殊だった。

したがって先のことを考えても、次にやるのならば漫画以外、できることならば広告寄りの媒体に関わってみようと思っていた。

まぁ、この考えにしても、実際は退職の方が先に決まっていたわけで、なんとなく自分や周囲を納得させるための後付けでしかなかった。

結局は行き当たりばったり。

でも、大手企業にサクッと就職できてしまった人はさておき、将来のビジョンが明確になっている人なんてどのくらいいるのだろうか。

なりたいものなんて働いているうちに変わってくるし、それも“業界の中の人”になってみないと、どんな進路があるかすらわからないではないか。

という言い訳(でも真理もあると思う)は見苦しいのでここまでで、ともあれ僕は新しい職場へと転職した。

ベンチャー企業へ転職

その職場(B社とする)というのは、いわゆるベンチャー企業だった。

システム系の親会社が、業務を拡大するために作った子会社で、業務内容はよくある業界特化型のポータルサイトの運営である。

業界自体は、見る人が見るとばれてしまうので伏せておくが、まぁ、みなさんが誰でも利用するようなサービスを扱う業界だ。

B社はサイトを立ち上げたばかりで、お金の源であるお客さんを集めている途中。 いわゆる、「立ち上げメンバー募集」というやつだ。

その記事の取材・ライティングのメンバーを募集しており、めでたくそこに内定をいただいたというわけだ。

正直、それまでWebなんて興味もなかったし経験もなかったので、初心者という引け目もあり、とてもじゃないが大手を受けるとかいう気持ちすらなかった。

だが、今だからこそ言える。 そこ、やばいって。

危ない橋を身を以て知る

危ない橋を渡る、なんて言うが、できれば危ない橋なんて渡りたくないものである。

しかし、まだ20代半ばの世間知らずの僕は、どれが危ない橋なのかすらわかっていなかった。

学生時の専門分野と全く異なる道に進んでしまったため、同世代との情報交換ができなかったというのも痛手だったと思う。

と、後悔を書き綴ったところで時は戻らないので進めていこうと思う。

めでたく制作として入社した僕は、改めて言う、 制作として入社した僕は、営業をやらされることになった。

会社の言い分としては、営業がお客さんを獲得してこそ制作がある。

だから、業務の幹となる営業の現場を知れ。だそうだ。その理屈はわからないでもない。理解は到底できないが。

ただ、面接の時にも何も言われていなかった。というか、伝えられていたら入社などしてなかった。

自分で言うのもなんだが、編プロで過ごした3年間で、僕はすっかり「まっとうな社会人」とは逆方向に進んでしまっていた。

客観的に見れば、身なりも言葉遣いも、社会人失格というやつだ。だから反抗した。かなり、猛烈に、抗議した。

そしてめでたく営業部に配属されることとなった。(一人暮らしの僕にとって、ここで職を失うことは餓死することと同義だ)

極め付けに、いきなり長期出張である。新規開拓という名目で、地方へ。

期間は不明。実質転勤のようなものだ。

しかも立ち上げたばかりの貧乏会社なので、マンションの一室に5人が同居するという、タコ部屋暮らし。

ありえない。僕の心は折れる寸前だった。

ただ、一応修行が済めば、制作として仕事ができるということだったので、心を無にしてまずはやってみることにした。

やはり制作に戻りたい

というか、もはや選択肢がなかったのだ。しかし、ここからが僕の真骨頂。

甘ったるい性格になってしまった所以。持ち前の要領のよさで、なんとかなってしまうのである。

とはいえ、それでは本職が営業の方に失礼なので補足しておくと、サービス業のお客さんが相手だったので、少しゆるめの僕に相性がよかったのだ。

スーツも着ていない、見るからにそこらの兄ちゃんが「ちーす」みたいなノリで入ってくるのだ。

警戒されることも少なく、さらに編プロ時代に培ったアドリブ満載のトークで懐に潜り込む。するともうこちらのものだ。

結果として、(これは本当に申し訳ないが)正規の営業職の人たちを差し置いて、飛び込みの契約数のトップをとってしまった。

ただ、僕としては全く嬉しいと思わなかった。やはり、営業は向いてなかったのだろう。

地方のタコ部屋から無断で脱出。都内の責任者の元へ、直訴に向かったのだ。

若さゆえだろうか。今ではとてもそんなことはできない。もう辞めるか、制作に戻してくれるかの2択を突きつけたのだ。

成績は残していたから、自分の中でカッコ悪くないと納得はしていた。まぁ、かなり怒られた。怒られ慣れてない僕は、キレてしまう寸前であった。

が、結局(これは後日談だが)、 その上司はそういった我が強くて行動力がある人間が好きだったようで、納得してもらった。

というか、僕は最初の契約に戻してもらいたかっただけなのだが。そして、ついに制作部に戻ることに成功したのだった。

こんなにも終焉は突然なのだろうか

制作部に配属された僕は、一言で言うと順風満帆だった。もともと制作部にいた人間は、例えば文章は書けるが全体を見れない。

例えば、周りとコミュニケーションがとれない。などなど、まぁ、新規立ち上げの会社はこんなものなのかなぁ、という具合であった。

すると、もともと編集というディレクションも自分でこなしていた僕としては、より効率的な進め方を追求してくなってきて、部署内で話し合う。

そして、その結果を上司に進言して…などなどやっているとどうしても目立ってしまっていた。

その間も通常の業務(取材や原稿作成など)をこなしていたのだが、まぁ、それは特にドラマもないので割愛する。

結論から書くと、入社から3カ月で(ちなみに営業を脱出したのは2カ月くらいだ)制作部の部長に就任してしまった。

まぁ、上司ってやつは、ヘラヘラコミュニケーションをとってくれて、建設的な発言をして、あるときは直言をしてくれて、みたいな奴が好きな場合もある ということだ。

制作部といっても5人程度なので、大したことはないのだが、そもそも人を育てるとかいうことが好きなので、実際にやっていて楽しかった。

というか、給料がかなり跳ね上がった。

これがベンチャーの力か!とか、能天気なことを考えていた。そう、ベンチャーの力はこんなものではなかった。

確か入社から半年経ったくらいだったろうか。僕は本部長(営業と制作すべての責任者)に呼ばれた。

「またなんか相談かなー」なんて思っていた。それまでは平和だった、平和って最高だ。

部長からニートへ

言い渡されたのは、実は社長が辞任しちゃった、だった。

???
正直、全くよくわからなかった。つまり、結局このポータルサイトは赤字続きで、親会社から切られるという結論になったらしかった。

いや、でもすでに社長がいないとかあり得るのか。あり得たのだから仕方ない。

もはや、会社がなくなるのは1カ月先らしかった。僕らにというか、僕に残された選択肢は二つ。

親会社から残らないかという打診があるらしく、それに応じるか、潔く就職活動するかだ。

ちなみに「僕に」と書いたが、その打診があったのはごく一部の人間だけだった。困った。

まず、この事実を僕が部下に伝えなければならないらしかった。なお、部下の選択肢は一つである。

こういうのは苦手だ。仕事をしっかりやってくれない人は嫌いなので、仕事に関しては注意したり、ときには怒ったりもするのだが。

こんなもの、死刑宣告に似ているじゃないか。まぁ、結局言うんだけど。救いはみんな僕に恨み言を言わなかったことだ。

僕に言っても何も解決しないのだけど。そして、僕は選択した。潔くやめるという道を。

理由として、親会社はかなりシステム寄りの会社だったので、入ったところで自分の道からは外れていってしまうであろうこと。

そして、自分だけ安パイを掴んで、というのがどうしても納得できなかった。

全員を面倒見てくれるということであれば、考える余地もあったのだが。

ちなみに、今であればどんなことがあっても、その親会社に残るだろう。
数百人規模の大きな会社だったし、正直やりたいこととかどうでもいいから。お給料もよさそうですし。

まだまだ僕は、現実とご相談できない、青臭い年頃だった。 とりあえず入社して、転職活動するという手だってあったのに。

そして転職活動も大してできないまま、残務処理に追われてあっという間に1カ月が経った。

みんな、通常の日みたいに定時になると退社する。少し本部長から一言みたいなものもあったが、あくまでサラッと。ぼんやりと、あっけないものだな、と考えていた。

そして僕はニートとなる。

もちろん退職理由は会社都合なので、失業保険の手続きをして、ああ、就活しなきゃ、でもとりあえず失業手当をもらえるマックスまで遊んじゃう?

とりあえずひとつわかったこと。ベンチャー(一部だろうけど)、怖いな。

この記事の筆者

松澤 悠希(仮名)
1981年生まれの35歳。

大学卒業後、中小の編集プロダクションに就職する。

雑誌の編集長を務めるが、3年間の勤務ののち退職。

その後、広告業界へとシフトしていくものの、生来の自由気ままな性格が災いしてか、転職を重ねることとなる。

8度の転職を経て、自分に合っているのはフリーランスだと考え、2015年に独立。現在は、広告ディレクター・ライターとして、主に印刷物を手がける。

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