地獄の体育会系企業から、エージェントを使って転職成功体験

執筆者の情報
名前:吉田達也(仮名)
性別:男性
転職経験:1回
現在の年齢:29歳
転職時の年齢と前職:28歳(大手OA機器メーカーの営業)

誰もが知る有名企業で働いていると、自分を見失いがちです。
新卒で入社し体育会系の大企業から転職した私の体験談をお話しします。

目標をしっかり持ち、将来のビジョンを持つ事の大切さをお伝えすることができれば幸いです。

売り手市場の就職活動期

私が就職活動を行っていた2009年。市場は、売り手市場でした。私は大手志向が強く、名立たる有名企業ばかりエントリーしておりました。

約40社ほど受け、内定は中小やベンチャー企業含め8社頂きました。

私の友人達も同等の内定を貰っており、それほど売り手市場の時代でした。

私は、内定を頂いた中の一番多くの6000名という従業員数を持っている会社を選択しました。誰もが知るカメラメーカーの販売会社です。

大手企業への就職が決まり、家族、恋人も非常に喜んでおり、入社する事を誇りに思っておりました。

内定式はホテルの宴会場を貸切、懇親会は高級料亭で会食をし、カメラグッズを無料で配布したり、交通費の清算もどんぶり勘定でした。

これが勝ち組企業なのかと、当時は思っていました。

晴れて大手企業に…!?

いざ、入社式へ。

当時の同期は約350人おりました。同期の350人が、大手企業に入社し、これから明るい未来が待っていると思っていました。

しかし、そこで待っていたのは、地獄の研修の始まりでした。最初の3ヶ月間は、朝から晩まで座学講習を受け、テストを行い、合格するまでは帰れない。

分厚い商品カタログを角から角まで何冊も覚えさせられました。

講習中は、少しでもウトウトしているとボールペンや電卓が飛んできます。

夜まで講習を受けて、部屋に戻ってまた勉強。そんな毎日でした。地獄の座学講習が終わると、さらなる試練が待っていました。地獄のOJT研修です。

東京を区域分けし、雑居ビルを上から下までひたすら飛び込み訪問を行い、より多くの名刺を集めるという研修でした。

商品知識もなく、世間慣れしていない新人に手厚い会社は少なく、初日の私は2枚。そこで上司に言われた言葉が、「2枚ごときで会社に帰ってくるな!」でした。

中には泣き出す人や研修所から逃げ出す人もおりました。

営業所はそこまで厳しくないという噂を聞いていたので、何とか耐え抜き、半年の研修を乗り切りました。

そして、地元札幌への異動が決定しました。

いざ営業所へ配属!

地元札幌の営業所に配属された私に待っていたのは、リーマンショックの影響でした。

ちょうどリーマンショックが起こった直後であり、会社は創業以来初めての赤字。ボーナスの減額も行われました。

そこから会社のコストカット意識が高まっていきました。インセンティブ手当、住宅手当、資格手当と次々に手当てがカットされていきました。

しかし、営業所は研修のような辛さはなく、人間関係もすごく良好でした。

数字達成に対する姿勢は崩さず、ONとOFFのメリハリがある理想的な職場でした。

当時の支店長は「脱・体育会系」を推奨しており、社員の満足がお客様の満足に繋がるというスローガンの下、なに不自由のない2年間の時が過ぎていきました。

リーマンショックの影響から会社は思うように回復せずにおり、様々な新規事業を始めましたが、どれも失敗。

そんなある日突然、全社員に社長の退任が告げられました。

新社長でV字回復…?

突然の社長退任が告げられ、新社長には、創業30年の中でナンバーワンの営業成績を上げた東京の本部長が社長の座に就きました。

業界では名の通った新社長でしたが、経営スタイルはワンマン経営。ラグビー出身とう事もあり、気合と根性が口癖の方でした。

新社長の下、会社組織は大きく変わり、異論を唱える者、根性論を否定する者は次々に左遷させられました。

当時の支店長も同じく新社長の目に止まり、工場へと左遷させられました。

新たな支店長は、新社長のお気に入りの部下であり、初めての朝礼で言った言葉が「我々はもっと会社に貢献しなければならない。だから売れるまで帰ってくるな、売れないなら1件でも多く客先に行け」という発言でした。

契約を取って帰社しないと、何時間も契約が取れなかった理由を説明しなければなりませんでした。終電を逃すことも度々ありました。

また、次の日の朝礼で、全員の前で反省文を読まされることもありました。

営業所の雰囲気は大きく変わり始め、朝早く来て遅く帰る人が評価され、人間関係も悪化していきました。とある朝礼で、営業部長がこう言いました。「客を騙してでもいいから、契約持ってこい」

この言葉を聞いた瞬間、辞める事を決意しました。

転職するにあたり。

転職活動を行うにあたり、まず私が行った事は、会社を辞めていった先輩や転職を経験している友人からの情報収集です。

転職を経験している方からの情報はとても貴重です。給料やボーナスの基準日など、人事部には聞けない情報や辞めた人にしかわからない情報が手に入り、より最適な辞め方をする事が出来ます。この情報収集は、非常に役に立ちました。

次に転職サイトへの登録を行いました。求人サイトを登録する時は、会社のフォーマル情報がすぐ手に入る求人サイト(マイナビ転職やリクナビ転職など)とエージェントが付く求人サイト(リクルートエージェントやDODAなど)の2種類を登録する事をおすすめ致します。

求人数は大体同じくらいなので、まずはサイトで情報収集をし、希望の会社についてエージェントに聞くと、より有力な情報を得る事ができます。

企業の情報収集の注意点としては、掲示板などの口コミ、噂レベルの情報は鵜呑みにしない事です。企業のネット情報は大袈裟な批評ネタのケースがほとんどです。

業界のプロであるエージェントを信頼すべきだと思います。実際に私の転職先の出回っていたネット情報は、まるで該当しておらず、エージェントの情報がほぼ間違いありませんでした。

私は、上記の方法で、内定を取りました。有名メーカーの営業、売り手市場という好条件もあり、1カ月以内ですべて完結しました。

職場の仲間からは、「こんな大企業辞めるのか」「そんな小さな会社に入ってどうするんだ」と止められ続けておりましたが、入社日も決まっていたため、いざ上司に報告をすると、思いもしなかった反応でした。

突然上司は泣き出し、深々と頭を下げ、今まで申し訳なかったと謝罪を述べました。

最初は自分の事を想ってくれていると思いましたが、やはり体育会系が染みついている組織だけに、責任を取らされる自分の身を守るための謝罪でした。

そんな組織からやっと辞められるという安心と次の会社への楽しみしかありませんでした。

上司の説得も聞かず、退職届を提出した私に対して、会社は、残りの給料の減額、手当の廃止、退職金の減額と法を無視した対応をされました。

辞めていった諸先輩の方々から事前に聞いておりましたが、予想以上のひどい仕打ちでした。

訴える事が可能でしたが、いち早く会社を去りたい気持ちだったため、波風立てずに退職しました。

転職を経て…

いざ転職先に入社してみると、職場は和やかな雰囲気、人間関係も良好。

前会社から比べると5000人以下の規模の会社ですが、経常利益は現在の会社の方が上。半年で主任という役職も貰い、様々なプロジェクトのリーダーまで任せてもらっております。

給料は大きく下がると周囲に散々言われておりましたが、借り上げ住宅制度のため、年収は下がりましたが、可処分所得は大きく変わりました。

前職では、手取り23万円-家賃7万円=16万円。現職では、手取り19万円-家賃0万円=19万円。

大きな会社だからといって、実際の待遇が良いとは限りません。

経験者の私から見ると、大手企業で働いている人は、「自分は大企業で働いている」というプライドがあり、福利厚生や給与面は平均以上だと勝手に思い込み、自分が劣っているという考えすら浮かばない人が多いです。

誰もが知る有名企業で働いていると、家族や周囲からは一目置かれ、自分自身を見失ってしまうのです。

今一度、自分を見つめ直し、考えを改めることは自分にとっても大きなキャリアアップとなります。

しかし、そこで1点注意すべき点は、自分の将来のビジョンを描いてから転職をするという事が大事だと思います。

仕事が嫌で辞める人や上司が嫌で辞める人は、次の職場でもまた同じように繰り返します。

目標をしっかり持ち、自分がやりたい事は何か、将来やりたい事は何か、というビジョンを持つ事で自分自身を大きく成長できると思います。

この記事の筆者

吉田達也(仮名)
1986年生まれの29歳。OA機器の販売会社で6年間営業を行い、2000名いる営業の中でトップ3に入る実績を残し、表彰を受ける。
当時最年少でリーダーという役職についたが、会社の方針に合わず退職することとなる。
顧客からの誘いはあったものの、一から自分を評価してもらう会社への就職を目指し、2014年12月に転職を果たした。

サブコンテンツ

絶対に外せない転職エージェント3社

    ランスタッド

このページの先頭へ