転職活動が上司に知れてしまい、僻地に左遷されてしまった体験談
私は社会人4年目の26歳の時に自分の仕事に嫌気が差し、転職を決意しました。
二社の選考を受け最終面接まで行ったのですが、残念ながら落ちてしまいました。
それだけなら問題ないのですが、その活動を行っていた事が会社に知られてしまい、上司の逆鱗(げきりん)に触れ、誰もが行きたがらない韓国(天安)の僻地に送られる(ほぼ左遷に近い)事になりました。
その時の事をここで書かせていただきたいと思います。
- 執筆者の情報
- 名前:山口 雄一郎(仮名)
性別:男性
転職経験:1回
現在の年齢:32歳
転職時の年齢と前職:26歳(転職活動はしたが、最終面接で落ちてしまい失敗に終わる。当時は半導体の営業支援を担当していた。マーケティング部に所属)
今回の記事の目次
転職を決めた理由
私は入社から海外顧客向けの半導体のマーケティングを担当していました。
採用面接では「第一線に立ち、顧客と直接関われる営業を担当したい」と伝えていたにもかかわらず、マーケティング業務畑を歩む事になってしまいました。
周囲に認めてもらうために結果を出すぞ、と意気込み業務に励んでいたのですが、結果を出せば出すほどマーケティング部から抜けてもらうと困るという理由で営業部に行く事ができませんでした。
「この会社にいる限り営業に行く事はできない」と感じ始め、転職エージェントに登録し、転職活動を始めました。
転職へのアクション
早速、さまざまなエージェント(リクルートエージェント、パソナキャリア等)にアポイントを取り、すぐに紹介して頂いた5~6社に書類を送りました。幸い全社通過しました。
ただ、転職の面接は平日しかなく有給を6日も取る事などできないので、選考は2社に絞ることにしました。
エージェントの方の事前対策のおかげで2次面接まで無事通過したのですが、残念ながらどちらの会社も最終面接で落ちてしまいました。
エージェントに確認したところ
「経験年数が短い。ここの会社で働きたい熱意が伝わってこなかった。」
との事でした。
確かに受けた会社には失礼ですが、2社にどうしても入りたいという気持ちがなかったので、それが面接中に表面に出てしまったのだろうなと反省しました。
ろくに企業分析もしなかったので仕方ありません。
反省点を踏まえ再度チャレンジ
再度エージェントから数社の会社を紹介していただき、前回の反省点を踏まえ企業分析を徹底的に行い、企業の経営理念・差別化ができているポイントを調べ面接に挑むようにしました。
ただ、1人で頭の中で面接練習していただけでは物足りなさを感じたので、仲のいい同期たちに転職活動をしている事を伝えて簡単な面接練習に付き合ってもらうようにしました。
また、同期から見た私について話をしてもらいました。
この同期に話した事が後々の左遷につながるとは思いもしませんでした…
再度有給休暇取得時の事件….
その後1社の書類選考に通過し、企業分析も面接対策もばっちり。
今度こそは絶対にうかるぞと自信満々になって面接が待ちどおしい気持ちになっていましたが、ここで事件が起きます。
有給を取る際、今まで満面の笑みで了承してくれていた上司から
「なぜ、平日の真ん中に有給を取るのか?」
といった質問をされ、少し驚きました。
「彼女の誕生日なので有給を取りたいのです。よろしいでしょうか?」
と嘘を言ってごまかしたところ、上司は
「俺は知っているぞ」
などと言いだしたのです。
「転職活動をしているようだな。本当にがっかりだ。手塩にかけて育ててきたにもかかわらず裏切られた気持ちだ。今回の有給は許可するから、思う存分転職活動してきたら。」
と嫌みを言われました。
当然、転職活動なんてしていないと強く言い返しましたが全く信用されませんでした。
今回落ちたら会社に居づらくなると思うと同時に、なぜばれてしまったのか?と悶々(もんもん)とした気持ちになりました。
その時に軽率に同期に転職活動をしている事を伝えたのを心から後悔しました。
追い込まれた状態での面接
前回は受からなくても仕方ない気持ちで面接に臨んでいたのですが、今回は「受からなければ後がない」状態で面接に受ける事になりました。
なので、企業分析や自己分析等の準備を徹底的に行ったのですが、追い込まれていると前回感じなかった緊張が生まれ、ちょっとしたパニックになり言いたい事が言えず面接が終わってしまいました。
当然ながら結果は1次面接で落選しました。
エージェントからも「コミュニケーション能力が低い」との評価で落とされたと聞かされました。
人間追い込まれると、ここまで頭が真っ白になるのだと驚きました。
上司からの突然の呼び出し
その後2カ月間ほどは何もなかったかのように仕事をしていました。
むしろ信頼を回復するために今まで以上に業務に励んでいます。
ところがある日、突然、上司から
「山口君少し時間いいかい?会議室に来てくれないか?」とフランクな感じで呼び出されました。
そこで上司から
「君はとにかく私と一緒に働きたくないみたいだな。営業とやらをやってみたいのだろ?韓国支店に空きがあるみたいだから行ってみないか?と言うより辞令だけどな。断る権利はない。」
と言われ、私は
「確かに営業を希望していましたが急すぎますし、いくらなんでもあそこ(へき地)に行くとなると決断するのに時間がほしいです。○○さんと働きたくないなんて事はありません。」と伝えたところ、
「行くか、辞めるかどちらかだから。早く選択して。」
と威圧的に言われ、言い返す言葉も人脈もなく私の韓国行きが決定してしまいました。
こんな事なら退職を希望しようかなと退職が脳裏によぎりましたが、海外駐在も良い経験になるのかなと思い行く事にしました。
今辞めても現状水準の給与の企業に転職できる保証もなく、既に転職に失敗しているので。
韓国での生活
それからいつ帰れるかわからない韓国での駐在生活が始まりました。
日本人2人、韓国人6人の事務所です。
主な業務は既存の顧客の需要をヒアリング、トラブルあった際に内容を確認して本社に伝えるという単純業務でした。
本社の指示無しに勝手な営業活動をしてはいけないルールが存在し、いわゆる名前だけの事務所でした。
へき地とは聞いていましたが、想像以上のへき地で工場地帯とビジネスホテルしかない。
買い物するところも遊ぶところも何もなくあぜんとしました。
食堂とコンビニだけが点在しているのみです。
その食堂の食事が非常にまずく、最悪でした。
在住していたアパートもぼろぼろで匂いもひどく、冬はお湯がでない。劣悪な環境とはまさにこの事をいうのだなと思いました。
平日は仕事があるのであまり気にならないのですが、休日はやることがなくアパートで1日ボーとしていました。
テレビを見てもハングル語なので全くわからず、ほぼ毎日YouTubeを見ていました。
あまりにも退屈で寂しくなり何度も泣きそうになり、何度も会社を辞めて帰国する事を考えました。
その度に何度も「なんとか辛抱し、結果を出して見返してやる。」と考え、思いとどまりました。
事業撤退による韓国支社の閉鎖
嫌々ながら始めた韓国の駐在生活から1年が経過し、少しずつ劣悪な環境に慣れ始めたところ、本社より半導体事業の撤退が伝えられ、私は空調設備の営業に行くよう辞令が出ました。
その辞令が出た時は本当に涙がでるほどうれしく、1人アパートで飛び跳ねて喜んでいました。
おいしくない食事、ボロボロのアパートから解放され日本に帰国できる事。営業職につける事、私が望む事が全て叶えられた瞬間でした。
ようやく叶った希望の職場
日本からの帰国後、空調関連の海外営業を担当する事になりました。
職場の方々にも恵まれ、いろいろな不満はありますが、自分が思い描いた仕事ができ今は非常に満足しています。
また、プライベートでも好きな野球、カフェ巡り等を行う事ができ、充実した日々を送れています。
あのまま半導体事業が傾く事なく韓国に残っていれば、おそらく希望を失った廃人のようになっていたとぞっとします。
おかしな話ですが、半導体事業が傾いてくれた事によって部下の事を考えない上司から離れる事ができ、自分が思い描いていた職種につけたので本当によかったと思っています。
あの劣悪な環境にいた事により、普通の事が幸せに感じられるようになりました。
転職を考えられている方へ 最後に
転職活動をしている時は孤独の戦いです。
自己分析はこれで良いのか、企業分析はこれでよいのか等不安になります。
そういった時に誰かを頼りにしたくなるのはわかります。
ただ、その時に絶対にどれだけ仲の良い同期、先輩、後輩であっても転職活動中は転職活動をしている事を言ってはいけません。
その話が回りに回って上司の耳に入る可能性があります。
自分の部下が転職を希望していると聞いていい気になるはずがありません。
心象は必ず悪化します。
そういったリスクを考えた時、会社の誰かに転職活動中はその事を絶対に言うべきではありません。
転職が決まってから話してもいいかもしれませんが、引き止められる可能性があるので確実に転職が決まってから話すのがベストです。
この記事の筆者
山口 雄一郎(仮名)
1983年生まれの32歳。
大手総合電機メーカーに勤務。
半導体、空調設備、制御機器等さまざまな製品の営業を担当して、現在では海外顧客(化学メーカー、非鉄金属メーカー)向けの変電設備の営業を担当している。
現在、ポジションは主任。