【第3回】消耗品・雑貨業界を渡り歩いた20年の転職記~東京復帰でセールスマネージャーに~
今回の記事の目次
新天地での条件
さて、これで10年以上住んだ関西ともお別れということになります。
すっかりなじんだ関西を離れるのはやはり寂しいものでした。
荷物を運び出してガラーンとしたマンションの最後の光景は今でも目に浮かびます。
東京への転職ということで引っ越しもあり、二週間ほど猶予をもらいました。
そして私は結婚して三年目にして初めて妻と同居することになります。
事実上の新婚生活の始まりです。ベッドを買ったりクローゼットを買ったり、いろいろ忙しかったはずなのですが、新居をどう決めたか、いつ買い物に行ったのかなど結構忘れてしまいました。
次の会社は輸入商社で主に消耗品や雑貨を輸入する会社でした。
その中のひとつの子会社に採用されることになりました。
営業が5人ほどのこぢんまりした会社でした。しかし以前のボスが私の直属の上司に当たるため、初手からやりやすかったことを覚えています。
三カ月以内にはもう古株さんのような顔をしていました。
ギャラは100万円近くダウンしましたが、無事東京に転職できたこともありますし、新規事業を任されるという事でセールスマネージャーという肩書もつけてもらいました。
不満がないといえば嘘になりますが、我慢の出来るダウン額でした。
肩書があると途中入社でも社内的にそれなりの対応をしてくれます。
平社員で入社するのとマネージャーで転職するのは大きな違いであることを認識させられました。
新天地での条件
さて新規事業は新しく商品を輸入して、今までの事業にプラスして売上を作るというものです。
これを市場ニーズの調査から日本向けのパッケージングから、販売方法から考えねばなりません。
もちろんマーケティングは力を貸してくれるものの、それはよその事業部のマーケティングさんなので、ほとんどのことを決定してから依頼して実行していただくというパターンです。
一から何でも相談できるわけではありません。もちろん一から何でも考えるために私が雇われたわけですが。
入社して二週間ほどは市場調査とオリエンテーションを兼ねて比較的ゆったりと仕事をさせてもらいました。
しかし、私がこの業界で長いとわかっている年下の子たちがしきりにいろいろ聞いてきます。
「この場合はどうしたらいいでしょう」
「こういうときはなんて答えたらいいんですか」
など、「逆に君たちそれを知らないで今まではどうしていたの?」と聞きたいような基本的なことを質問してきます。
入社後1・2年の子たちとは言え、若干の不安を感じたことを覚えています。しかし逆にそれはやる気があって素直だということです。
おかげで私はあっという間に馴染む事が出来、部下を指導するということも自然と出来るようになりました。
挨拶回りと新規事業
東京へ帰ってきた私は、まずは取引先へ挨拶に向かうことになります。
仕事上、以前東京にいた頃にお世話になった取引先も多く、私のことを覚えて頂いている方もいたので、かなりやりやすかったです。
三回目の転職になりますので、「あー、今度はそこへ行ったんだー」なんていう人もいました。まあどんな形であれ覚えて頂いているというのはありがたいことです。
新規事業についてはボスの中で青写真が出来上がっており、それを具体化していく作業という形になりました。
什器のラフ図面を引いたり、キャッチコピーを考えたり、POPの形状を印刷業者さんと打ち合わせをしたりなど、それまでは営業としてほとんどオフィスにいなかった私が今度はマーケティングの顔をして一日中オフィスにいることになりました。
1年近く市場調査以外はほとんど内勤をしていました。ほとんど外に出られない内勤は思ったよりはきつくはありませんでしたが、銀行に行けなかったり、ちょっとした用足しも出来ないので不便ではありました。
でもまあ営業さん以外はそれは普通のことなんですよね。
第二の新規事業
最初の新規事業がほぼ軌道に乗ったところで、次の事業を開始することになりました。
今度は「自社ブランド製品を立ち上げる」というものです。もともと輸入商社なので、海外からすでにある商品を引っぱって来て日本で売る、という商売なのです。
しかし、やはり自社ブランドが欲しい。つまり「自社で作って売れば利益が大きいのでそっちもやりたい」という経営陣の意向で、また新たな事業を始めることになりました。
結論から言うとこの経験は楽しかったです。何しろ自分が作ったものが店頭に出て、実際に売られるわけです。
「これ、俺が作ったんだよー」と言いたくてしょうがありません。一度商品開発に携わった人は商品開発から離れられない理由がよくわかりました。
まったく知らないブランドを世に出すということは、そしてそれを売るということは大変なことです。
世の中には知名度の高いブランド品があふれているわけですから、新規参入のブランドはなかなか受け入れてはもらえません。
しかし、比較的ニッチなカテゴリーだったため、シングルヒット程度の売上げは達成することが出来ました。そしてさらに別の新規事業を始める事になります。
事業は続くよどこまでも
さて、今度は従来とまったく違った流通を使った事業に取り掛かることになりました。今までとまったく違った流れのため、雲をつかむような感じで手探りで事業を開始しました。
最初にこの路線だと思っていた流れは途中で暗礁に乗り上げてしまいます。
次にわらしべを一本拾いました、そしてそのわらに虫をつけることが出来ました、という感じで少しずつ少しずつ広げていきました。
その業界は私が考えているよりも複雑で、結局流通そのものを解明することは出来ませんでした。
別業界からの新規参入というものがほとんどない業界で、アプローチしてもその業界のことを丁寧に教えてくれる取引先はありませんでした。
しかし王道は歩けなかったものの、その商品の売上は3倍増となり、また、新聞に取り上げられたこともあり問い合わせも増え、ひとまずの成功を見ました。
この事業を始めてからはこれに労働時間の半分以上を割くことになりました。また私が一番その商品に詳しかったため、お客様相談室のような消費者からの業務もせねばなりませんでした。
その時はとても気の重い仕事でしたが、これは後々役立つことになりました。
奴らをリストラせよ
そうこうしているうちに部長が私にある命令を下しました。「人を減らす」とのことです。
いや私、入れてもらったばかりなんですが、もうクビなんでしょうかと一瞬思いましたが、業績に比べて売上が伸びていないのでコストカットをしなければならないとのことでした。
そして誰かを解雇するか、売上を伸ばすか、どちらをとるかは君に任せるが、売上が伸びない場合には君に責任を取ってもらうことになる、というようなことを言われました。
リストラ経験のある私には人を辞めさせるという選択肢はありませんでした。
経営陣としては煙たいというか辞めさせたい人もいるようでしたが、私はその手段を取りませんでした。
最終的に私が責任を取らなければならなくなったとしても、リストラでひどい目にあった私には自分でリストラを敢行するということは出来なかったのです。
結局その話があってまもなく、全社的なリストラが実施されることになります。
大黒柱売却
どうして行く先々で波乱が起こるのか知りませんが、この会社に入って二年ほどたった頃、グループの半分以上の売上を持つ基幹会社が売却されることになりました。
その会社はある商品の日本総代理店として三十年近く商品を販売してきたのですが、イタリア本国が日本で日本法人を立ち上げ、それに伴い代理店権をうちのグループから引き上げてしまったのです。
形式としてはうちのグループから代理店権、営業権を日本法人に譲渡という形式になったようです。
外資によくありがちな、代理店にやらせて様子を見て、調子がよければ本国が日本法人を作って乗り込んでくるってパターンです。
ただグループ社長が怒り狂っていなかったところを見ると、M&Aとしてはかなりうまく行ったのかもしれません。そして大黒柱事業の売却後、私のいる子会社がそのグループの稼ぎ頭となってしまうのです。
プレイングマネージャー
最大事業の売却により、やはりリストラが行われました。事業売却に伴い社員全員を雇用するという条件はなかったようで、売却した基幹会社でもリストラ、また私のいる子会社でも雇用の見直しがありました。
古株の社員さんが急遽辞めさせられたかと思うと、代わりに若い新人さんを採用したり、一時なにがしたいんだかよくわからない時期もありました。
この時期にリストラもあり、会社に不安を抱いたのか自主的に辞める人もあり、人数が減ったため、私は新規事業だけでなく、統括部長はいるものの事業全体を見るようになりました。
と言うと聞こえがいいのですが、結局営業の現場へも復活することになりました。
新規事業に伴いもちろん営業もしていたのですが、この頃から完全になんでも屋さんになりました。新規事業から本家事業から輸入予測から営業まで。
どこにでも関われるのでそういう意味では楽しかったです。しかし体がひとつではもたないのと、自分で高めの目標数字を決めて自分で動かなければいけないというのは一つのジレンマではありました。
経営陣寄りで考えることと、現場で考えることでは矛盾が出てしまいます。どこで折り合いをつけるかと言うのがこの頃の課題でした。
まさかの指名解雇
自慢話ですが、私がセールスマネージャーになって二年目、会社の業績は回復します。直近の3年ほどは下降していたのですが、結果的に私が売上を回復させたことになります。
まあ、もちろん部下やみんなががんばったおかげなのですが。
しかしここでまさかの指名解雇をされてしまいます。部長に会議室に呼ばれ、「結局売り上げを作れない人はいらないんですよ」と言われました。
売上は回復基調にあったのですが、経営陣の思う売上には遠かったようです。
「えっ、会社員ってそんなに簡単に解雇できるの?」
と思いました。日本事業撤退とは違い、ただ単に私を解雇するというのです。なんじゃそりゃ、なのですが、どう反応していいか分かりませんでした。
また訴えたとしても小さな会社のため、そのまま残れたとしても社長と上手くいかないことはわかりきっています。
私は自分でも驚くほど簡単に受け入れてしまいました。そして、来月は出社に及ばず、給料は払います、3日以内に荷物をまとめてください、と言う急な解雇でした。
そして無職へ
次の日、部下二人を焼肉屋へ連れて行き、解雇される旨、引き継ぎ期間は2日しかない旨等を話しました。
あまりに急な話のため、彼らも驚いていましたが、もうどうすることもできません。
はっきり言ったのは、
「会社はもう俺を要らないと言っているし、三日で出て行けっていうことは、俺からの引き継ぎもする必要がないってことだ。
だから俺は引き継ぎをする気はないし、引き継ぎ資料も作らない。
ただ、お前らを困らせたくないし、この業界で生きていくつもりなので取引先にも迷惑をかけたくない。だからあと二日で出来るだけのことはする。困りそうなことがあったら今のうちに言っておけ」
と言うことでした。急に辞めて取引先が混乱すれば、自分のせいにされるのは明白です。お客様に迷惑をかけたくないし、残された若い衆もかわいそうだと思いました。
とりあえずその日はできる範囲内で話をし、最終日は終電になるまで片付けものをしながら引き継ぎ事項を話しました。そして私は次の会社も決まらないまま無職となりました。
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