【第6回】消耗品・雑貨業界を渡り歩いた20年の転職記~つかの間の営業部長~

いきなり見つかった次の仕事

前職を辞める前、私は既に転職活動を始めておりました。

だんだんと人がいなくなり、売上も上がらず、同僚も先に退職を決めており、

「これはもうそろそろ危ないな」

という匂いがプンプンしていたからです。そして離職の日がくる前に次の転職先と面接をする機会が出来たのです。

転職サイトでたまたま見つけたその転職先は名前も聞いたことのない会社でした。

親会社が百貨店系で輸入雑貨を販売しており、その子会社として通販をメインに雑貨を販売している会社でした。

私は当初その親会社と面接をする予定でしたが、

「あなたの履歴なら子会社の方が向いていると思うので、そちらで面接する気はないか」

と打診されました。通販系の仕事はしたことがないし、WEBサイトを作成する技術もない私は、

「まあ次の面接の腕試し」

程度で面接に行きました。社長は穏やかな方で、年齢は私より少し年上でしたがおしゃれな方で私より年下に見えるくらいでした。

その子会社は当時は通販事業しかやっていなかったのですが、これから自社で輸入販売を始める事業計画を持っていました。

すでにいくつかの輸入雑貨の販売権を持っており、あとは販売ルートと営業戦略を決定していく段階とのことでした。

日本での営業実務経験者と新規ルートを一から開拓できる人を探しているとのことです。

社長とは年齢が近いこともあり話も合い、私も前職で一から事業を立ち上げたばかりだったのでその話をすると、かなり私のことを買ってくれたようでした。

また、前職での経験が丸々活かせることになるので、私としても渡りに船の転職先でした。

社長にも気に入って頂いたようで、ほぼほぼ入社合意となり、次回面接で条件決定という雰囲気になりました。

親会社との面接

さて二次面接というか最終面接は親会社の社長との面接ということになりました。

親会社の規模はさほど大きくないようで、社長というより個人事業主という感じの方でした。

社長と、専務だという女性が出てきましたが夫婦ではないようです。同族会社はもうこりごりだったので同族会社でないことに少し安心しました。

親会社子会社といっても株式会社としては違うので、あくまで面通しレベルだったようです。

こちらの二人も穏やかな方で、

「経歴を拝見しましたが、あなたならぴったりだし、上手くやっていただけると思います」

と丁寧に言っていただけました。この時にこちらからの条件を提示しました。

今回は年俸で50万ほどダウンさせて提示したのですが、そのまま飲んで頂けました。前職のキャリアが今回の仕事にピッタリはまっていたためだと思います。

そして役職は「営業部長」を頂くことになりました。

まあ、小さい会社なので部長といっても部下なしのひとり営業部なのですが、初めての部長の肩書がうれしかったです。

最後に

「あの社長はちょっと気難しいところもあるけど、あなたなら上手くやってくれそうね」

と言われたのにちょっと引っかかりましたが、突っ込むこともできずそのままにしました。この意味は後々解明されることになります。

入社当日

さて、入社してみるとオフィスには従業員が7人ほどでした。

入社の挨拶をすると、うち二人が既に退社することが決まっていると言います。

設立後間もない会社なのに、もう辞めるんだ、と不思議に思いましたが、まあ人にはいろいろ事情やタイミングがあるんだろうなと思っていました。

また、私と同期でもう一名、マーケティングの人も入社しました。この方が退職する方の代わりになるようです。しかし差し引きしても全社6名。

こんなに人数の少ない会社は初めてだったので、人間関係が大変なんじゃないかと不安に感じました。

しかしこの会社の方は酒飲みの方も多く、すぐに歓迎会やら飲み会やらに誘ってもらうようになり、あっという間に仲良くしてもらえるようになりました。

やはり馴染める馴染めないというのは自分だけの問題ではなく、周りの環境にもよるんだなとつくづく思いました。

以前は1年いてもほとんど馴染めなかったのに、この会社ではほんの数週間で急激に溶け込むことが出来たのです。

再びの新規事業

さて、この会社も全く販路というものがありません。

しかし輸入権を持っている商品はたくさんあるので、まず何に絞るか、何を売るか、どこで売るか、ざっくりしたことから決めていきます。

まずはいくつか商品を持って私の持っている販売ルートでヒアリングを始めます。

過去に取引経験があるバイヤーさんや、小売企業の店長、また、仲のよかった問屋さんの商品部などに、どの商品なら日本で売れそうかを聞いて回ります。

目の肥えたバイヤーさんたちはなかなか選択眼が厳しく、はっきりとは意見を言ってくれません。

「価格しだいかな」

「これは難しいねえ」

などネガティブな意見を頂戴することが多かったですが、ひとつひとつが次の商談に繋がる貴重なご意見です。

こうして新規事業を進めていきますが、だんだんと社長と私の間で話が食い違っていくのです。

本当の内情

入社して2週間ほど経ってからでしょうか。毎日の朝礼の中で温厚だと思っていた社長が急に激昂しました。

過去に商品開発担当が失敗した事例をほじくり出して個人攻撃を始めたのです。

社長が怒鳴るところを見たのは初めてだったので、私はそんなひどい失敗だったのかと思い、夜詳しく聞くことにしました。

「今朝社長が怒鳴ってたけど、あれってどんな失敗だったの?」

「ああ、あんなのずいぶん前の話よ、何回でも繰り返して言うのよ」

「社長があんな怒鳴ってるの初めて見たんだけど」

「あんなのいつものことよ。新人さんが入ってきたからしばらく我慢してたんでしょ、猫かぶって」

どうやら社長が怒鳴るのは日常茶飯事のことのようです。

間抜けな話ですが、面接のときからこの日までは社長は穏やかな人だと思っていたのです。

まさかこんなにヒステリックな面を持っているとは思っていませんでした。

そしてこの朝をきっかけに社長の罵声はブレーキが利かなくなり、日替わりで個人攻撃が続くようになりました。

ほんの些細なことでもネチネチといちゃもんをつけてくるのです。次のターゲットは私になるのではないかとびくびくするようになりました。

人間って少し付き合ってみただけでは本当にわからないものだとつくづく思いました。

後にこの社長は「怒鳴り散らすほど熱心に仕事をしている自分」を誇らしげに思っていることが分かりました。

事業は始められるのか

これを期に私は社長に対し一歩引くようになってしまい、社長も私に対してお客さん扱いを止めました。

するとどんどんお互いにズレが生じてくるようになりました。

社長は通販でしか商品を売った経験がなく、商品は簡単に売れるものだと思いこんでいるのです。

今の事業が小さいながらも比較的スムーズに軌道に乗ったのでそう刷り込まれてしまったようです。

また実際にどこかで新規事業で一発当てたケースを聞いてきたらしく、

「あのメーカーは新規で立ち上げて3カ月で1万個売ったらしい」

とか

「知り合いに伝説の営業マンがいて、入社して三カ月で商品を完売させた」

などの都合のいい話を持ち出して私に語り始めます。

私の常識からすればこの業界、まず販売ルートを決め、商談し、ある程度販売目処がついたところで輸入数量や製作数量を決めるのですが、通販しか経験のない社長は

「いざとなったら通販で売ればいい」

「俺には俺のルートがある」

というスタンスを譲りませんでした。そしてついには新規商品輸入の前に今ある国産品の在庫を売って事業資金を作れと言い始めました。

社長のそのセリフに

「新規事業を始めるって俺を雇っておいて、事業資金ないのかよ」

と驚いてしまいました。

どんどんずれて行くもくろみ

社長と私の方向がどんどんずれていくのと同じくして、事業の方向もずれはじめました。

事業資金を作るための国産品の在庫は社長が「俺が売る」といって業界最大手の小売企業さんとトップ会談を設定しました。

このルートを設定する力は確かに強力なものでした。この人脈があれば私も人に自慢するかもしれません。

しかしそれだけでモノは売れません。知り合いの知り合いの知り合いが大物だったのですが、大物過ぎて現場とはあまり関係のない方だったのです。

もちろん現場にも指示は飛びましたが、現実商談としては事実上のお流れという形になりました。現場のバイヤーはそんなに甘いものではありません。

また、この業界では最有力チェーンの取締役と社長が事前に新規事業の話をしていたのですが、

「全面的に協力できるとは言いがたい」

と事実上のお断りをされていたことも発覚しました。

私もそのチェーンにはルートが会ったのですが、取締役に断られている話を部長に持っていっても門前払いを食らうだけなので断念しました。

さらには私のルートで業界随一の問屋さんも紹介し、先方は快く受け入れてくれたのですが、社長が気に入らなかったようで、保留となりました。

「私たちはベンチャー企業なので、大手のやり方を真似しても負けるだけだ」

と言い切りました。この頃にはすでに

「私のやろうとしている方法は社長は受け入れないだろう」

と考えるようになっていました。

事実上私の中でこの事業は暗礁に乗り上げた形になりました。

最後のプレゼン

最終的に社長の考えていることは分かっていました。

「とにかくノーリスクで商売をしたい」

ということなのです。

つまり自分のところでは在庫を持たず、注文を受けたものをそのまま発注し、輸入して販売したいということなのです。

残念ながらそのノウハウも、それを実現するためのルートも私は持っていませんでしたし、事実上そんな楽な商売が出来ているメーカーも商社もありません。

みんなに協力してもらい、私は最後の事業計画を作成しました。

非常に現実的なラインでリスクを最小限に抑えたプランです。

この会社は少ない社員数でしたが少ないだけあって本物のプロが多く、バイイングから販促費から陳列什器からPLまでかなり綿密なプランを作成することが出来ました。

そして社長に最終のプレゼンをしましたが、受け入れられることはありませんでした。

「大手さんにいた人の考え方だね」

これ以上いても私に出来ることはなく、また、おそらくこの会社が取ろうとしている方法論を旧知の取引先に強いることは私には出来ないと判断し、辞表を提出することにしました。

何回か転職をしておりますが、自分の意思で会社を辞めたのはこれで二度目となりました。足掛け三カ月の短い勤務でした。

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