【第6回】いろいろあった20代、30代の転職~師と仰いだ人との対立~
老人保健施設で私を採用した方が、特別養護老人ホームを開設し、再び働くことになりました。
しかしそこは、
毎日どこかで送別会が行われるような「ブラック企業」だったのです。
4年の月日の中で変わってしまった心や立場。一時は師と仰いだ人との対立。
働くこととは何かを考えてしまうお話です。
- 体験者の情報
- 名前:熊谷五郎(仮名)
性別:男性
転職経験:7回以上
現在の年齢:45歳
転職時の年齢と前職:20代~30代
子供ができて考えたこと
老人保健施設から、山のふもとの特別養護老人ホームに勤めてはや4年が経過したころ、妻のおなかに私たちの子供が授かりました。
かなりな田舎のため、産婦人科まで片道1時間以上もかかります。
都会の人はあまり実感しないと思いますが、過疎地の医療は深刻で、診療科がないためにはるか遠くの病院を受診しなければならないことが多々あります。
特に産婦人科はとても少ないため、お産だけでなく定期健診なども大変。
それがきっかけである行動に出たのです。
山のふもとの施設から都会へ
出産やこれから子供を育てる環境のこと、両親のこと考えて、村を出ることを決意しました。
私を老人保健施設に採用した小林幸子似の部長が、私の出身の街に特別養護老人ホームを建設して施設長になり、「一緒に働かないか」と誘われたことも理由の1つです。
まだ、その決断が大失敗になることを知らず、4年間お世話になった施設を後にしました。
ゆとりから目の回るような激務に変化
山のふもとの施設は、村からの補助金に頼ったのんびりした経営をしていましたが、その施設は完全独立採算制のため、徹底した営利主義で、なによりも集客を優先にしていました。
私の業務も利用者と膝を突き合わせて話すことや、レクリェーションではなく、20室もある短期入所の部屋を、どのように効率的に動かすか、どれほど新規利用者を獲得することに変化しました。
それにプラスして長期入所の相談や金銭管理、介護計画の作成と、煩雑な仕事に追い立てられる毎日でした。
転職で気づいた3つの失敗
この施設に来て「失敗した」と思ったことが3つあります。一つは直属の上司W。
老人保健施設時代に一緒に働いたことがあるのですが、そりの合わないWが、まさか自分の上司になるとは思ってもいませんでした。
お互いに気に入らないのだから、適切な評価など与えてくれるわけがありません。
2つ目は待遇です。最初は主任からスタートの予定だったそうですが、Wの反対により平社員からスタートになったそうです。
さらに給与が悲惨。「この人が施設長だから大丈夫だろう」と思ってお金の話を一切しなかったのですが、想像を上回るほど低く、今後の生活をどうしたらいいものかと頭を抱えました。最後は信頼を寄せていた施設長の変貌です。
4年前は福祉に革命を起こす先駆者に見えていましたが、今は電卓をたたく経営者にしか見えません。すべてが予想外だったのです。
女帝施設長、暴君の限りを尽くす
一時は師と仰いだ施設長は「女帝」と呼ばれ、暴君の限りを尽くし嫌われていました。
何かを言うたびに「私くらいになると」と、田原俊彦並みのビッグな発言をし、意見が通らないと「私はえらいのよ」と恫喝するのですから、嫌われるのも無理はありません。
低賃で雇用するため、施設の職員は新卒と、あまり雇い入れ先がない中高年で構成されていました。
クリスマス会などの行事で残ってもサービス残業で、逆に「参加料」として職員からお金をせしめるほど。
市役所から監査が入る
ある日、市の介護保険課の監査が入りました。
現在は施設入所者の介護認定(どれくらい介護が必要かの判定)は、市町村職員が行うことが多いですが、当時は施設のケアマネージャーが行っていました。
監査は「実際よりも高く判定し、不当な介護報酬を受けていないか」と言う調査でした。
何人かの利用者がピックアップされ、3人による調査が行われました。
認定調査はケアマネージャーのみが許された業務ですが、私が来る前までケアマネージャー資格を持つ看護師が名前だけを貸し、調査は介護職員や生活相談員が行っていたそうです。
そのため実際の状況との相違が多く、市役所から強い指摘を受けました。
施設の生贄にされる
結果はすぐに施設長の耳に入り、「なぜうまく誤魔化さなかった」と叱責を受けました。
3人の調査官に囲まれ、自分がやってもいない調査の結果をどう言い逃れしたらよいのか。言っていることがメチャクチャです。
その数日後、施設長室に呼ばれ、「やるべきことを怠り、施設に多大なる損害を与えた」と、譴責辞令を受けました。もう私の怒りは頂点に達しました。
施設長は、私を自分の右腕としたかったようですが、納得のできないことの片棒を担ぐことはできません。そんな対立の中の仕打ちでした。
1年余りで余儀なく転職
あまり次々と転職はしたくなかったのですが、ここにいても失うものばかりです。
まだ福祉系の教員になる夢をあきらめていなかったので、あと数年はどこかに潜伏して経験を積む必要があります。
できれば営利主義ではなく、かつ経営が安定している施設がいい。
私は公立の施設を探しました。
ヒットしたのは、北の果てにある小さな島でした。地方公務員と言う立場を得るために、今度は一家三人で北の島を目指したのでした。
この記事の筆者
熊谷五郎(仮名)
一部上場企業、中小企業、国家公務員、地方公務員、私立学校教員、医療法人、社会福祉法人と多彩な(?)転職経験があり、それなりに良いことと、多くの嫌なことを経験しました。
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