【第8回】いろいろあった20代、30代の転職~教育現場で伝えたかったこと~
日本海に浮かぶ孤島を離れた私は、念願の専門学校の教員になりました。
理想は昔の青春ドラマの先生。その希望通り、学生たちにはとても慕わられたものの...
- 体験者の情報
- 名前:熊谷五郎(仮名)
性別:男性
転職経験:7回以上
現在の年齢:45歳
転職時の年齢と前職:20代~30代
教員1年生
念願の福祉系専門学校の教員に採用され、「やったー」と言う気持ちで出勤しました。
私が勤務するのは、業種の異なる専門学校を10校も経営する大手の学校法人です。その中の一校が福祉の専門学校でした。
学科は介護福祉学科、社会福祉士学科、精神保健福祉士学科、福祉保育学科の4学科に分かれていて、私は社会福祉学科の全クラスの副担任を命ぜられました。
「はい、これが先生に担当してもらう科目です」教科書が手渡されたのは授業開始二週間前。
教科書を開いてみても何が何だかさっぱりわかりません。
それもそのはず、実習指導は数多くの行ってきたものの、理論的解釈で説明することなど初めてのことなのですから。
しかも独学で資格を取得したため、授業として福祉を教えられた経験はゼロ。
見本のない中でのスタートとなりました。
最初の授業は、介護福祉士学科の演習の授業だったと記憶しています。
当時はまだ介護を目指す学生がたくさんいて活気がありました。どんなに良い授業内容でも学生が聞いていなかったり、居眠りをしては意味がありません。
授業には漫画やアニメを導入したり、時には街の中にある福祉設備を探しに行くなど、様々な工夫を試みました。
その結果、「おもしろくて役に立つ授業をする先生」と評判になり、学生からの高い評価をもらうことができたのです。
先生は偉いのか?
翌年には卒業学年の担任になりました。担任には、副担任にはない重圧があります。
学生の出席の管理や、体調の管理、時にはアルバイトの状況やメンタルと言った私生活への介入も必要です。
専門学校は専門分野の教育に特化した学校だと思っていたので、このようなことまでやるとは思っていませんでした。
私自身、教員が私生活に踏み込んでくることが嫌だったので大目に見ていると上司から、「学生の遅刻や欠席が多いのは担任の指導不足だ。学生の指導がなっていない」と叱責されることが多々ありました(笑)
朝は玄関に教員がずらりと並んで学生に向かって挨拶します。
これも処遇教育の一環だそうですが、人間の壁のようで威圧感たっぷりです。
この威圧感が嫌で、必要以上に朝早くに登校するも学生もいました。
学校の方針によると、教員は学生の人格の陶冶に務め、個性ある人材を育成し、国家社会に貢献することが使命だそうです。
私を含めて、そんな大それたことができそうな人は、一人もいそうにありません。
加湿器の設置をめぐるバカげた事件
このような感じなので、学生には好評ながら校長以下の上司に目をつけられると言う青春ドラマの先生のような日々が続きました。
自分以外、全員が女性教員と言う環境もやりづらさに拍車をかけていました。
クリップの止める向きや紙のおり方など、私には気づかなかったり、どうでもいい些細なことが気になるようです。
「もう辞めようか」と思い、ほかの学校を受けてみるものの不採用になり、「やっぱ、甘くないな」と考え直して歯を食いしばっていました。
冬になり、締め切った校舎内はひどく乾燥し、湿度が20パーセントを切ることもあります。
学生からは「何とかしてほしい」と言われ、私も授業をしていて喉が渇くため、学校に改善を求めましたが、「いますぐは何もできない」との回答でした。
そこで学生たちは、球技大会で得たわずかな賞金で加湿器を買うことを提案しました。
広い教室が小さな加湿器で満たされるわけではありませんが、全員で使うものを買いたいという意見に賛同し、購入を許可しました。
しかし加湿器ひとつが、この学校では大問題になるのです。
最初に加湿器の設置を問題視したのは主任教員でした。私よりも10歳年下ですが、学校の趣旨を察知する能力に優れた切れ者です。
私が出張で不在のため、代わりに入ったホームルームで発見したようです。
突然副校長に呼び出され、「なぜ独断で加湿器の設置を許可した」と詰め寄られました。
何かの冗談かと思いましたが、副校長は本気なようです。
私 「教室が乾燥していることや、クラスで使うものを買いたいと思った心意気に打たれて許可しました」
副校長 「学生のアイデアはいいが、備品以外の物を勝手に持ち込んでは困る。そこを判断できなかったのか」
私 「何が悪いのですか」
副校長 「電気代がかかるだろう」
私 「電気代は、学生のために使うもので、学費から支払われているのではないですか。個人のスマホの充電をしているのとは意味が違うと思いますが?」
副校長 「ほかのクラスも真似したらどうするんだ」
私 「真似はしないと思いますよ」
副校長 「とにかくこのことは校長先生に報告するから」
そのあとに校長室に呼ばれて同じ話をすることになりましたが、大きな話にする必要があるのか、いまだに疑問で仕方がありません。
加湿器は学生に十分な説明ができないまま撤去され、始末書を書かされた上に私が買い取ることになりました。
よく「学校の考え方に合っていない」と言われましたが、学生に対して「髪型を指示通り治せないなら退学してもいい」などと言う校長の考え方にはどうしても賛同できません。
組織に属している以上、保身も必要であるにもかかわらず、学生を思うばかりに学校を敵に回してしまったのです。
加湿器の一件をはじめとする様々なトラブルの責任を問われ、翌年は自分が受け持っていたクラスの副担任に降格。
3年連続の減俸にプラスして担任手当も失い、年間20万円以上の所得ダウンになりました。
教員になれてよかった
日本では年間3万人以上が自殺すると言われています。
人生を悲観する理由は人それぞれですが、経済的理由で命を落とす方は多いのではないでしょうか。理不尽な対応と所得のダウン。
何度も戦力外通告を言い渡され、「お前はこの世にいらない」と言われている気分でした。
教員はずっとやり続けていたい仕事でしたが、もうここで活躍することはできない。辞めてしまっても食べていくあてがない。どうしよう。
そんなときに、福島県に本部を置く社会福祉法人が、私の住む街に特別養護老人ホームを新設するため、幹部候補を募集していると言う情報を耳にしました。
北の島の死亡事故を発端に、直接高齢者福祉と向き合うメンタルは失っていましたが、経営やマネジメントであれば、これまでのスキルを活かすことができると思ったのです。
筆記試験と2度の面接をクリアし、内定を取り付けて8年間の教員生活に別れを告げました。
私同様にその年限りで退職したのは合計6人。学校の3分の1が一気に退職するという未曽有の事態となりました。
事情はそれぞれ異なりますが、不満を抱えていたのは全員同じ。
「学校の考え」とやらが、実情にマッチしているのか、今一度考え直してほしいところです。
2年間担任として、1年間副担任としてかかわった学生に最後の挨拶をしたところ、まるで青春ドラマの最終回のように、泣きじゃくる学生や、落胆する学生がいっぱい。
その瞬間「いろいろとあったけど、教員になれてよかった」と実感しました。
彼らは翌年卒業していきましたが、「どうしても来てほしい」と言われ、卒業パーティーの2次回にも出席。学校を離れても付き合いが続いています。
この記事の筆者
熊谷五郎(仮名)
一部上場企業、中小企業、国家公務員、地方公務員、私立学校教員、医療法人、社会福祉法人と多彩な(?)転職経験があり、それなりに良いことと、多くの嫌なことを経験しました。
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