【第9回】いろいろあった20代、30代の転職~鬱になるほど辛い思い~

専門学校を辞めた私は、特別養護老人ホームの幹部候補として働くことになりました。

本来の自分の実力を生かすことができる理想の福祉施設作りに燃えていたのです。

体験者の情報
名前:熊谷五郎(仮名)
性別:男性
転職経験:7回以上
現在の年齢:45歳
転職時の年齢と前職:20代~30代

突然の単身赴任

私が採用された社会福祉法人は、東北のある県を中心に展開していましたが、その年から全国に手を広げ、4月には東海、7月には私の住むS市、翌年には関東に施設を開設する予定でした。

これまでのような既存の施設の改革ではなく、地元で1から新しい施設を立ち上げることができるため、やりがいを感じたのです。

まずは新入職員と一緒に研修を受けてほしいと言われ、飛行機に乗り東海のある街まで行きました。

翌日に辞令交付があり、緊張の面持ちでそれを受け取ると、なんと東北の施設の事務長代行と書かれているではありませんか!

「一体これは...」

面接のときも出発前も東北の話は一切出ませんでしたので驚きです。

ようやく3日後に事業部長から詳細が伝えられました。

「東北の開設4年目の施設の内部がかなりゴタゴタしていて、コントロールが取れない状態にある。そこを立て直してほしい」と言うことでした。

「だから、今までそう言うのが嫌だから新設施設を選んだんだろーが!」と思いましたが、心を静めて「期間は1年くらいですか?」と聞くと、「2年、うーん」と煮え切らない返答しか返ってきません。

「実は母親が入院していまして、家庭的に大変な時期なのです」と言ったものの、変更はなし。

一週間後に東北のある街で単身赴任生活をすることが決定してしまいました。

施設の状況を分析

1年以内に立て直しを図るべく計画を練ります。この施設の問題点は、次のとおりです。

  • 介護職員が不足している
  • 職員の勤怠を見ると、交代するスタッフがいないため、2、3時間残業をして次のスタッフに繋いでいる様子がはっきりとわかります。
    介護現場はどこも人が足りないのですが、この状態でフル稼働させるのは負担が大きいと思いました。

  • 介護職員の離職率が高い
  • 採用される以上に退職者が多いのですから、供給が追い付くはずがありません。働いている人の負担が改善されないため、さらなる退職を招いていました。

  • 介護職員が技術不足
  • ほとんどが未経験者・未資格者のため、介護技術が伴っていない。そのため転倒事故は頻繁にありました。虐待とまでは言えませんが、一部に好ましくない言動や行動も見られます。

  • 人間関係が悪い
  • 「この人たちは何をしにここへ来ているのだろう」と思うほど自由な人の集まりで、「この人とは仕事をしたくない」「この人は嫌いだ」と、幼稚園以下の足の引っ張り合いや責任の擦り合いが日常的に見られます。
    施設長はただ怒鳴り散らしているだけの人だったので、反感は買う一方で実質的な問題解決は行われていませんでした。

この法人では事業部長がトップであり、すべてを牛耳っているのですが、それゆえ施設長が保身に走り、現状の正しい報告がなされていなかったのが、ここまで事態を悪化させた要因だと思います。

もう何から手を付けてよいのかわからない状態でしたが、役職に見合った働きをしようと、まずは職員を理解するところから始めました。

就任では、「立場上、生意気なことを言わせてもらうかも知れませんが、ご了承ください」と挨拶し、1カ月間かけて職員一人一人の把握に努めました。

家族崩壊

仕事も軌道に乗り、単身生活もなんとかこなし、「家族を呼んでこっちで暮らすのもいいかな」と思っていたころ、家族にはとんでもないことが起きていました。まずは母親の問題。

腰椎圧迫骨折のため、何度も入退院を繰り返していたのですが、少し認知症がかっていたため、夜間の付き添いが必要でした。

父親は10年前に他界し、私は遠く離れて単身生活をしていたため、嫁が無理をしながら付き添っていました。

その間に中学生の娘は一人で夜を過ごさなくてはなりません。

もともとコミュニケーション障害があったことと、精神不安が重なり、不登校になってしまったのです。

離れているため、問題が起こっても何もできず、イライラが募る。母親のことや娘のことを考えると、こっちで一緒に暮らすのは無理です。

考え抜いた末に、出身地に新しく建った施設への移動願いを提出しました。

最初から私をこの施設に固定させるつもりなようでしたが、家庭の事情なら仕方がないと事業部長に了承してもらえたものの、「ただし、向こうは役職者は充足されているので、生活相談員をやってもらう」と言われました。

「準幹部が家庭の事情で移動すると平社員?」トンデモ発言に「冗談だろ」と思いましたが、「戻してやるんだから有り難く思え」と言う感じで取り付く島もありません。

私の仕事にも変化が起きていました。生活相談員と言って、施設には内外の相談を聞く係がいます。

生活相談員を行っていた職員の適性が問題視され、介護職員に転換されることになったのです。

そのため私が生活相談員を兼務することになりました。事務長と生活相談員の兼務など聞いたことがありません。

すぐに本来の仕事よりも生活相談員がメインになり、膨大な仕事量に圧倒される日々が続きました。

北の島の死亡事故を発端に、リアルな福祉にかかわるのは精神的に堪えます。

本来やりたい仕事ができず、やりたくもない生活相談員を続けるのはとても苦しいことです。

「暫定的なことで、すぐに人を補充するから」と言われていましたが、私が移動する日まで補充はありませんでした。

屈辱の日々

地元に帰ってきたものの、告知された通り、役職を解かれてヒラの生活相談員に格下げになりました。

「このような仕打ちを受けるいわれはない]と言うと、「4月以降になるまで待ってくれ」「新規事業を立ち上げるまでの辛抱」など、言い逃れを繰り返すばかり。

しまいには「あんたの頑張り次第だ」など、逆切れまでされる始末。

自分の役職に誇りをもって仕事をしていただけに、納得がいきませんでした。

自分が判を押していた欄に、別の者の判をお願いするのは、屈辱の極みです。

移動になった施設は、開設から半年しか経っていないと言うのに殺伐としています。

常に人が入れ替わって激しい新陳代謝が行われています。誰もが口にするのは「いつ辞めようか」と言う話ばかり。

異業種から転職した施設長がまったく統率を取らず、保身ばかり考えていることが原因でした。

開設準備室から働くある職員は、「いくら勤めていても自分の職場と言う愛着を感じない」と言っていました。

生活相談員は、私のほかに介護福祉士から転職した新人が一人。

決してやりたい仕事ではありませんでしたが、新人の育成を使命として、なんとか頑張ろうと思っていました。

ところが期待の新人君は、1カ月もたたないうちにギブアップ。

本人が言うには、「仕事が忙しいのは仕方がないですが、賞与は最初に聞いていた額と違うし、何よりも全体に漂う無気力感に堪えられないんです」と言います。

確かに求人票には「賞与年2回」と謳われ、面接でも給料の約2倍と聞いていましたが、実際には数万円しか支払われませんでした。

入社してから「賞与ではなく成果報酬だ」と言われましたが、では求人票もそう直せばいい。

完全に釣りです。100歩譲って成果報酬だとしても、個別の人事考課が決定する以前に支払われるのは不思議。

そこを指摘すると、「事業所ごとの成果だ」と言います。

「それであれば支給期間内に黒字施設にいた私は満額もらえるのでは」と詰め寄ったところ、適当にはぐらかされました。

きっと基準などなく一律定額支給だったのでしょう。

新人君が辞めてから、またしても私に仕事が集中します。

「こんなことをするためにここに入ったわけではない」談判すると、「ほかに人がいない」とか、「施設が赤字だからもう人を入れられない」などと言います。

「4月以降、しかるべきポストを用意すると言っていたのはどうなる?!」と詰め寄ると、「当分、このまま生活相談員を続けてほしい」ともっとも嫌な宣告をされました。

鬱になる

「またかよ」

キャリアアップのために経験を積み、資格を取得して頑張ってきたと言うのに、与えられたことは20年前と同じ。

何の落ち度もないのに平社員にされて、ガンガン鳴る電話の応答をして、毎日痛いだの苦しいだの気の滅入る話を聞かされ続けるのか...そう思うと気が変になりそうでした。

完全に精神的バランスを崩した私は、自ら精神科を受診しました。診断名はうつ病。

診断書を事業部長に提出したときの会話は、以下の通りです。

部長 「これをもらった以上、生活相談員はやらせられない。あとうちで欲しいのは介護だよ」

私  「介護はやりません。経営的なことがやりたくてここに入ったのです。もとの役職に戻してください」

部長 「戻すったって空きがないからね。施設長でも辞めれば話は別だけど」

私  「こういう状態になったことに対して、職場の改善は考えてもらえないのですか」

部長 「続けたいのかい?」

私  「生活のためにですが」

部長 「だったら、介護でも何でもしますくらいのことを言いなさいよ…まあ、幹部候補で入ってるからねぇ」

私  「介護をやる幹部候補ってないんじゃないですか?」

部長 「介護をやっていようが、相談員だろうが幹部候補は幹部候補」

私  「候補ではなくて、実際に事務長代行だったんですよ。あれ、地域限定だったんですか?」

部長 「ああ、そうだよ」

全国展開するのに、転勤すると降格になる企業など聞いたことがありません。

この法人の実情を考えると、「遠隔操作」と言われるだけあり、施設長になったところで自分の考えなど持つことは無理でしょう。

退職届を提出してそこを後にしました。

この記事の筆者

熊谷五郎(仮名)
一部上場企業、中小企業、国家公務員、地方公務員、私立学校教員、医療法人、社会福祉法人と多彩な(?)転職経験があり、それなりに良いことと、多くの嫌なことを経験しました。

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