【第4回】女性である私の転職~派遣~
- 体験者の情報
- 名前:小沼ちづるさん(仮名)
性別:女性
転職経験:10回以上
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:22~35歳
不幸
これからどうしよう。。不安な日々が続いた。ふと、下北沢の書店にて、会社いじめにあった男性の小説に出会いました。
まさか買いはしなかったものの、さらっと立ち読みし、主人公が徐々に周りの状況を理解し、権力に立ち向かい、勝利する内容に引き込まれていきました。
その本との出会いとの因果関係は定かではないが、むしろ全く関係ないと思われますが、この後6年ほど、不幸、つまり幸せとは程遠い日々を送ることになってしまいました。
それは、誰も自分の味方がいない、親にどれだけ尽くしているつもりでも親不孝と呼ばれ、自分より力のないと感じられる人たちに踏んづけられ、自分より何もわからない人たちの言いなりとなる、聖なる派遣生活でした。
キラキラ輝く、自分大好きな権力者による、それまでには考えられないような侮辱にあい続けたのでした。
それは、恐れを多く腹に抱えた、多くを知らない女性が私の上で自分の虚栄に酔いしれている姿に見えました。
しかし10年経った今、それは自分の未熟な家族関係の表れかもしれないとも思うようになりました。
はたまた、世界の出来、不出来、能力、地位、全てが、あまりこうだからこう、だからすごい、などと言えない不思議なものなのかもしれない、とも結論づけました。
派遣というポジションからでしょうか、何をしても威張られる、踏んづけられる。
特に社員女性の手下のようになるのは、クリエイティブに人生を作りかけていた私には大変ショッキングなことでした。
しかし、本来は、自分の行動や仕事に責任を持ち、それを管理できる範囲で働かなければならなかったのかもしれません。
相手をのさばらせるのすら、確かに自分の発信がおかしいのです。
手に入る全ての自己成長、ノウハウ、考え方の本をしても、心の中には深い嫉妬と寂しさ、無知への嫌悪、幸せからの隔たり、欠乏感、低い自己尊重など、辛い状況下の健康を害された人が持つものが、重しとして自分にもありました。
自分は愛されない、とも、心のどこかで思うようになっていました。それゆえに、全ての人付き合いが、うわべにおわりました。
愛されなくて、価値のない私は、他の人に尽くさなければならない、他の人よりも下である、と、思ってしまったのでした。
しかしそれも、10年経って、世界中の様々な支配者などを知ると、それが完全に変な思い違いであることに気づいています。
しかも、考え方のクセなど、それらは変えられるのです。
ただ、辛い辛いと嘆くことになってしまったこの時期も、生きながらえることができたので、感謝して受け取るべきなのでしょう。
見方を変えれば、非常に文句を言えるほど幸せだったのです。
そんなことには全く気付かず、上手くいかないキャリア構築にとにかく心は苦しみました。
外資金融!バイリンガルセクレタリーの道
一方、現実的な努力としては、いつでも仕事ができるように体を鍛えようと、ヨガやらジョギングやらに励みました。
ふと、登録した派遣会社から外資金融オフィスでの仕事を紹介されました。
それまでに、外資アパレルのPRなどの、前職と関係する職の面接にも紹介を受けたのですが、オフィス内でも英語環境、という、英語力を大いに活かせるこの外資金融の仕事で、オファーを受けることができました。
面接の前日には、志望動機や何ができるか、どうして英語力が高いか、などの聞かれそうな質問への答えを用意し、それを部屋でひとりで稽古しました。
当日面接を務められた代表の方々からの質問は、練習した質問内容とは全く違いましたが、何か練習をして望むのは、私には効果がありました。
即派遣開始となり、全くもって救われた気分で、綺麗なお洋服も少し揃え、足取り軽く、初勤務へ向かいました。
オフィスには活き活きと働く先輩女性がスピーディな環境下であくせく働いていました。
指導を受け、実際に職務に着いた頃には、それが全く難しい仕事でもなんでもないのに職場に大切にされること、また、頑張ろうとする人間への慈悲や優しさ溢れる環境に、アメリカらしい清々しさを感じ、非常に幸福に思いました。
代表の方が、社員に幸福な環境を、と思ってくださっていたのもわかりました。
日々嬉しく頑張ったものです。PRと比べると受け身な体制や仕事の広がりのなさがもちろん気にはなりました。
しかし、PRの仕事ができたわけでもない身としては、セクレタリーのサポートのような形でも、また、庶務のような形でも、置いていただいて大切にしていただけるのが非常に嬉しく感じました。
また、頑張ろう、と、そう思いました。そうこうする間に正社員のオファーもいただいたのです。
しかし、何のために東京に来たのかを考えたら、自分がここで落ち着いて幸せになることがいいのかどうかを考え、結局辞退をしました。
このことはその後も長く後悔しました。辞退しながら派遣で、という働き方も続かず、結局具合が悪くなることが多くなり、派遣を終了しました。
派遣といじめ
その後は派遣就業を転々としました。その落ち着かない生き方も、全くもって自分では気に入らなかったものでした。もう、すでに自分が大嫌いだったのでした。
しかし、苦しい中、TOEICを受け、また新たな仕事を受けました。
いい仕事、というよりは、どこか大きないい組織よりもその下の下、といった印象の仕事が多かったように思います。
六本木の会社の人事部のサポートへ入った時には、うつ症状のようになって仕事になりませんでした。
その後、新宿の大手ゲーム会社へ入るものの、社内の男性と関係を持ち、それを何故か怒らせる形となり、大変に押しつぶされ怒鳴られながらさらし者としていじめられる生き地獄の中、神経症になったためエクセルの文字も数字も間違えながら何度もメールを打ち直すなどのどうしようもない失敗を繰り返しました。
この突然人生に舞い降りた地獄の日々では、人のご加護にすがる、(あまり自分らしくないし、良いことでもないのだが)、人に取り入って、俗にいう、ペコペコしながら、生きました。
大きな声で罵声を響かせる上幹部の職員。嫌味と蔑みを下品に繰り広げる女性役員。
いたたまれず、翻訳のボランティアをしながら、辞めようと思い会社に行くと、ちょうど派遣更新の時のみ、人の感じが優しくなったのでした。
しかし、頭の中はすでに、冷静に順序だてて物事を考えられる状況ではなく、正直言って、一つの物事以上を請け負うとパニックになるほどに参っていました。
それは、計画を立てて部活と試験勉強をバランス良くこなすことに喜びを感じていた学生時代の自分とは全く違いました。呪われている、そう思ったものです。
実際に、会社全体、特に若い方々が、私をまるで汚い子犬(それもゴミのような)かのように影で嫌っていた。
どうもおかしい、誰かのためにいじめられてあげているのか、そう思いました。
実際にこの時、私の人生は、大して付き合いたくもない人間に出会い、それがあまりにおごり高ぶった感じだから、少しリップサービスしてよいしょして、仲間に入るが彼らの中の一番下の地獄を見て、そこに入り、そこから出る、というものでした。
なんとなく、自分は地獄の人のために、模範的に地獄に入り、ロールモデルとして地獄から這い出ることを、それぞれの世界の地獄で繰り返しているかのように思えたのです。なんて恐ろしいつまらない生き方をしていたのでしょう!
精神的には、支配権の腕をうならす上幹部に流されていきました。その後も精神・心療内科へ通い、心身の回復を図りました。
快楽のための救済
かわいそうに、助けてあげる、これは、私が当時よく出会った権力者の姿でした。
かわいそうに、助けてあげる、その裏には、私の餌となり、私の素晴らしさを賞賛しなさい、が透けて見えるものだったと感じ、私は嫌悪しました。
身分の高い女性、それらが大嫌いになりました。
そしてそれらの方々はこぞって、私から何を奪ってもよい、と思っている、そう心で断定できるほど、どこかが傷つきすぎて、現実把握もおかしく、心はどんどん憎しみを作っていくばかりでした。
私が本来の姿に戻らないと、こんなに世界は暗いのか、と思うほど、その時の私の病んだ世界は、無秩序になってしまったのでした。
この記事の筆者
小沼ちづるさん(仮名)
転職歴は派遣も含めて10回以上、現在個人事業主としてビジネス展開。
業種は広告、マーケティング代理店、病気退職から英語系海外系事務派遣で生活。
本当の自分と向き合うことの大切さをみなさんにお伝えできればと思います。