【第8回】女性である私の転職〜自分以外の力に動かされて〜
- 体験者の情報
- 名前:小沼ちづるさん(仮名)
性別:女性
転職経験:10回以上
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:22~35歳
広告業界、日本、海外
広告業界は、たくさん職歴がある私でも変人と扱われない、今のその人の中身の発揮が問われる、いわゆる厳しい業界です。
その小さな世界の中で密な人の繋がりが多く、今回は、勢いよく仕事を取りに行く中に、私も入れていただくことができました。しかし、ここで直感ひらめく私。
実は、アメリカで流行しているスピリチュアルリーダーの女性の情報源にも魅力を感じ、企画書を書いて出版社へ送っていたのですが、だんだん不穏に思うようになっていき、つまりそれが、それまでの私の心を押さえつけた「抑圧」「支配」「犠牲」などと繋がりはじめました。
私の直感メッセージはこうです。
「その人の犠牲になってはいけない」。瞑想による直感とはいえ、世界には、はたまた歪んだ霊的体験なるものもあり、瞑想してみて思いついたからといってそれが神からのメッセージ、とかいうわけでもないのですが。
ニューヨークタイムズ紙に取り上げられたり、Google社でセミナーを行ったりする一方、ラディカルなスピリチュアルリーダーな彼女。
勿論、それは彼女の素晴らしい功績のひとつだが、法規制が厳しい日本に住む私から見ると、彼女に狂信的になることが自分を貶めることになるような気がしたのでした。
一度3回のインターネット同時瞑想会のようなものを1万円弱で購入し参加して、その訳がわかったような気がしました。
つまりひねくれて技術を磨くことしかできなかった私は、トップに上り詰める人の、手の抜き方が全くなかったのです。私が彼女に狂信的になったら、失うものが多いのだと思いました。
その同時瞑想会には特にシステム上のハイテクも必要なく、手抜きのように思われるプラットフォームだったが、確かに瞑想をすると、効果を感じました。
スピリチュアルから得られたこと
ではなぜ私が「犠牲」にならないように注意する必要があるのでしょうか?
それは、顧客となることで食われてしまう部分、東洋の仏教理解、日本の神道、日本の高い精神性、それらを生かしていない今の救われない生き方の私は、彼女に飛びつくよりも、自分のルーツを愛することの方が大切なのでした。
私みたいにすればいいじゃない、とあまり分別のある謙虚な大人からは聞こえないような声が聞こえるかのように思えます。
戦後日本が失ったものは何なのか、そして、この欧米主導への反発は何なのでしょうか。
自信をなくし、技術に走る私にはないものが、実行力あふれる彼女方面には多くありました。「仕事」を「やる」こと。
それを貫くだけで、本当はいいはずなのです。本当に、心が晴れやかになりました。
私は一生懸命考えていたのですが、ほとんど間違っていたのでした。やればいいのです。大切なものを絶対大切にしよう、また心に誓いました。
それと同時に、できるできないを関係なく、身を退けずにとにかく仕事をし続けた人への敬意も深まりました。
こうして、物事の両面を、やっと少しずつ見ることができるようになったのでした。
でしゃばらずに「やる」
メディアエージェンシーでの最初の仕事は、チームとしては残念な結果に終わりました。
しかし同世代でエリートなグローバルディレクター達との仕事は、学びも多くありました。
瞬時の判断が多く必要になり、また、プレゼン間際まで妥協なくアイデアを練ります。
日本市場への理解を深めたいグローバルチームへの力となるようにと、自分の職務がデザインされていたと解釈した私は、精一杯、少しはみ出てしまうかもしれない、と思いながらサポートしました。
しかしそこでも、対人のトラウマ反応がないわけでもありませんでした。10年前の職場でのトラブル。きちんと対処できないままに、時だけが過ぎ、歯がゆく感じました。
通訳者としては元来の出しゃばり癖が職務の邪魔になるので、仕事は半分真似事のようなものになってしまいました。
機転を利かせたつもりが、余計な雑音を増やしていたりもしました。
不満の残る内容だったが、「やる」ことを精一杯頑張りました。
できる仕事、向いている仕事
その後、同じエージェンシーグループの別の会社へ移動されました。
ダイレクトマーケティングを行う部署での、リージョナルのクライアントや同社ディレクター、ローカルのクライアントや同社プランナーをコミュニケーションでつなぐ仕事でした。
彼らが仕事をしやすいように、海外からの注文が何なのか、時には背景などを説明しました。
背中とお腹に何か乗り移っているのでは?と思える不可解な霊的現象も感じながら、チームメンバーの一員となって貢献する機会を与えられ、また、主体的に考えて組み立てる場面にも多く恵まれ、言うまでもなく最先端のインターネットマーケティングにも多く触れることができました。
その後、しかし体調不良は相変わらずうまくいきません。そんなちぐはぐな私には、周りの人からは軽蔑の視線も時として強く感じました。
それは私の精神状態がおかしく、変人と揶揄されてのことだったのでしょうか、しかし、人格を疑われるような視線を投げかけられる、それが嫌がらせなのかはわからなかったが、キツネにつままれたような気分である日突然、やはり仕事が終了しました。
どこをとっても嬉しくなかったのですが、環境としては良くない、後の仕事の方が、職務の本質としては、性格にあっていたのかも知れませんでした。
できる仕事をすることよりも、向いている仕事を少しでもすることの方が大切だ と感じたので、少しでも本質が自分に向いている職務で本当によかったです。
少しでも貢献ができたなら、「やる」ことはできたので、自分の中ではよい、ということにしました。
種撒きの恩恵
その後、すぐにクリエーター派遣を行う派遣会社から電話があり、面接をオファーいただけました。
以前にテレビ局の報道局を紹介いただいていて、本当に自分のことを見てくれている、という印象のあるマスコミ業界に特化された派遣会社でした。
実はここへは、2008年の派遣先でのパワハラ&セクハラ被害後に登録、面談を受けたのでした。
当時は面談後、うつ症状なのか良くわからないが、ビルの外で大泣きしていました。
話を聞いてくれただけで嬉しい、と思うほど病んでいたのですが、
当時は、首になったらその日がチャンス、といった内容の書物も多く読みました。
与えられた状況をプラスと考えないと、生きている意味がないと思ったからです。
そうこうして面談へ伺ったのは国内大手の広告代理店グループ内制作会社でした。
今を生きる人たちの集まりだったためか、面接も非常にサクサクと進んでいきました。リクエストを明確にいただき、その職を受けることになりました。
自分ならできると思える内容だったし、自分を新しい人だ、と認識して会ってくださっている面接官の方の誠意というか、基本に則ったしっかりした姿勢を、むしろ新鮮に受け取ったのでした。
今回は仕事について勉強する時間などなく、自分の知識を経験と、現場のディレクションで仕事を行いました。
これが当たり前なのかもしれないのですが、肉体労働の含む現場の職員の皆様は元気で、私が困っていたうつっぽい呪いの世界などとは全く無縁そうでした。
基本を大切にする誠実な姿勢に学ぶものも多く、風当たりが強いように感じる時もあったが、とにかく与えられた職務を遂行することに集中して勤めました。
体力回復に向けて
ところで、体力回復に向けても、隙なく努力を重ねざるを得ませんでした。
体は個人スポーツとマッサージではうまくメンテナンスできず、オーラや気が崩れていると判断されざるを得ない身体症状があったため、スピリチュアルヒーリングや瞑想、また先祖供養などにいただいたお給料を使いました。
不穏なものを感じ続けた私にとって、実際に誰になにを相談してよいかわからない不信感を世界中に抱いていたので、それらのために、普通なら怪しい、と敬遠するようなサービスにも投資しました。
例えば、神とのリンクを受けましょう、といったスピリチュアルサービスやオーラの修復をするエネルギーワーク。それしか生きる道がないように感じました。
そんな中ですから、そのように衰弱していても、元気なチームの中に入れていただき労働を行うことは本当に喜びのあるものでした。
他の方と比べてしまうと、年齢の割に数々の転職が、となりますが、この頃から、変えられないものへの執着の諦めもつくようになっていきました。
元気になりたい、と思うことができる環境にいることができたことが幸せでした。
この記事の筆者
小沼ちづるさん(仮名)
転職歴は派遣も含めて10回以上、現在個人事業主としてビジネス展開。
業種は広告、マーケティング代理店、病気退職から英語系海外系事務派遣で生活。
本当の自分と向き合うことの大切さをみなさんにお伝えできればと思います。