【第11回】女性である私の転職~独立~

体験者の情報
名前:小沼ちづるさん(仮名)
性別:女性
転職経験:10回以上
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:22~35歳

シンガポールから日本へ

シンガポールでの仕事は、日本で派遣就業をしていた時期と同じく、十分とは程遠い収入でやりくりしなければならなりませんでした。

そこで、これまで病気療養や体調不良で手付かずになっていた、予算内でのやりくり力を高めることを目標におきました。収入がすぐに増やせる職業ではなかったからです。

広告営業のインターネット部門、それは、堅苦しい私から見ると、風紀の乱れた、どちらかというとダラダラした世界でした。

ぐにゃぐにゃ体をくねらせてごまかしながら話をする新卒ローカル社員にさらに暖かく優しく接する南国シンガポールの同僚たちを見て、自分が切り刻まれるほどにシビアな目線を保ち続け、むしろそれを良いことと思っていた自分には、確かにカルチャーショックでした。

しかし、既存の考え方から飛び出たアウト・オブ・ボックスな発想が必要な業界において、どのような教育が果たして正しいのかは私にはよくわかりません。

批判的な目線と、新しいものを歓迎する目線、両方が自分の中に存在しました。それと同時に、長年日本で続いた自分への侮辱的な視線もまだやはりありました。

日本の大手広告代理店とも近しい、アジアの広告業界は、やはり同じ池の中。思えばエンターテイメント、ゲーム業界、地元で遊ぶヒッピーたち、新卒の仕事での外国人教師の方とのトラブル、思えば根っこは自分に対する侮辱でした。

家庭内にその問題の原因のルーツを見ても、結局それはハリボテの世界で、根元は本当にカルマや因果の世界でも結論付かないものなのだろうと思いました。

自分の責任でなんとか現在見える問題を問題ではなくしなければ先にすすまない、引き寄せの法則や瞑想、アファーメーションなどたくさん実行しても、シンガポールでもまだ、病院通いさえ続いていました。

アロマセラピーによる回復

気晴らしは一人旅行でした。そしてシンガポール滞在期間が終わろうとしている時、インターネットで、心を魂の癒やしに効く、という、フラワーエッセンスという製品を発見。

何かよくわからないが、オーストラリアからその商品を購入し、使用しました。たくさん購入した、「人生が変わる」商品。それもその一つだと思ったが、今回は効果がありました。

帰国後、1年ほど、アロマセラピーのように、使用することになったのですが、真っ暗闇だったここ10年に、ようやく日が当たりだした感覚でした。

心と体、自分と社会

自分についた傷を癒すように心と体を勉強するうちに、世界中にはたくさんの人が同様の貧困、病気、差別、侮辱などで苦しんでいることに目を背けないようになっていきました。

程度は様々としても、自分が十分に安心して仕事に打ち込めるわけではない、というのは、傍目には怠けているように見られるし、理解はされず、社会とのつながりも薄まり、非常につらいものでした。

実際の生活でつらいように、そしてそのような状態では、その人の体内もつらい、らしいです。

健康元気かもしれないが、霊力が高すぎると欲望過多となり、神とのつながりがうすれ、本来の自分ではなくなるそうです。

流行にながされ、いいんじゃない、という軽いノリで欲望の渦に巻き込まれるふわふわした日本人、ミーハーな日本人、それらはおそらく曲がった自己実現であり、幸福とは程遠いものなのです。

肝心な心のケアを、様々な都会の脅威と心の隔たりにより失っていた幼少期の私のように、多くの人は、地に足がついていないのでしょう。地に足がついていないのは、地球と自分が繋がっていないのです。

それは、生きる力が淀んで、そこから無限に湧き出るはずの、性的な力、実現の力、許しの力、自己表現と社会とのつながりの力、時を超えて世界を心で見る力、そして神とつながり本来の自分を表現する力、全てが失われている状態なのです。

8年前、父は何気なく、私に「心技一体よ」と言って体と心を強くするように促しました。

父には、心で未来を見据える力が昔からありました。ふと、身内の嫌いな部分から目をそらせずに、上手に関係構築できない自分を感じました。

いいところに目を配り、いいことを毎晩日記に書き、その日の感謝を携帯日記に打ち込み、考え方を徐々に変えてきたつもりだったのですが、シンガポールの勤め先の人事に言われたように、まだ外からの刺激への反応が自分を辛くするものだったのです。

生まれながらにして助言者に恵まれているのに。。いづれにせよ、インターネットでの引き寄せの法則等の長年のリサーチにより、体の中の気、つまりチャクラやオーラが、収入の大小や生活の豊かさに直結していると理解しました。

そして、そのような情報を商売にするスピリチュアル起業が海外では流行していたようでもありました。

仕事探し期間の学習の積み上げ

私は東京で派遣を転々としてしまった時期にも、ひとつだけ欠かさなかったことがあります。

それは、得られる教育全てを得て、空いた時間を好機ととらえ、常にスキルアップ、人格向上などの学習をしてきたことです。

時には複数のマネー講座にも足を運びました。東京ローカルではない自分にとっては、街を知るいいチャンスでもありました。

同僚、仕事仲間、という立場で出会う人たちと、友人という立場で出会う人たちは、基本は同じでも、どことなく住み分けを作っていた私は、勤め先を離れることが、ある種の裏切りになったり、人に迷惑をかけるかもしれないことも理解していたつもりでした。

自分がすぐにやめていく社員を経験していたからです。

つまり、仕事があってもなくても、時間は毎日過ぎていて、自分も何かとにかく努力しなければならない、仕事探しや転職の失敗の原因を解消するとともに、日々、向上しなければならない、と環境から叩き込まれていたのでしょう。

人とうまくいかなかったら、人とは何か、そもそもの原因、など、考えを巡らせなければならないものです。幸せな職場を受け入れる、自分の身体も作らなければなりません。

お金をかけた、通訳学校やインターネット大学オープンコース、各種セミナー、本類の購入と同時に、無料で得られるものが年々増えていくことにも気づいていきました。

自分も何か情報提供したほうがよいかなあ、と徐々に受け取る姿勢から、与える姿勢へと傾いていきました。

肝心な、芯、心

一度自分はダメなんだ、などのコンプレックスにも似た思い込みが頭に入ると、その影響で、私はずっと辛い生活が続いていました。

物理的に、自分のオーラが避けていたので、外を歩くだけで、私だけチリやゴミが自分の霊の中に入ってくる状態だったらしいので、それは納得できました。

シンガポールで出会ったフラワーエッセンスも、東京でたくさんお金をつぎ込んだスピリチュアルヒーリングと同様に、その種の見えない部分を修復する力があると言われていました。
日本では、オーラは馴染みがないが、他の国では、お肌と同じように、ケアすることもあるそうです。

そうすると私は肌が大きくカッポリ切り裂かれたままだったのか、、、そう思うとぞっとします。

それと同時に、もっと多くの人がオーラのケアやチャクラのケアをするといいなあ、と思うまでになりました。

自分のケア

そして置き去りだった肝心の心、これは、家族関係によもや起因するかのように見えたが、結局家族も周りの人もいい人たちで、それぞれは常に最善を尽くしてい流素晴らしい人たちなのです。

そこからまた考え直し、また、たくさんのリソースを読み、自分で自分をケアすることを頑張りました。

心療内科からカウンセリングに切り替え、病院だけでなく、自分の心を内観する術も学びました。

地に足つかず、肝心な部分が抜けていた私、いやいや、愛すべき私。人は生まれただけで、何もできなくても、生きているだけで、本当は素晴らしい。

浮き足立ったまま、地に足つかないまま、求められたことが出来ないと人間失格、などと自分を切り刻むことをまるで美談のように取り扱われる我が国において、自殺率が高いのは必然なのでしょうか。

人をジャッジしない、自分を愛する、それらがより根付いているだろう西洋文化と比較してみると、あまりに日本人は大切なものをフリルのように適当に身につけていると思われます。

それは小さな世界の常識でも、そのフリル同士の比較に気を取られすぎてそれが人格否定にまで発展する遺脱した考え方は、世界基準では、やはりまだ、気が狂ったままなのではないでしょうか。

自分をいたわりながら、ふつふつと、もっと世界に貢献したい、という、愛、芯を基準とした労働欲が湧いてくるようになっていきました。

改心、起業

自分を客観視することができるようになり、病気治療も進むと、段々と、いびつなキャリア形成になった自分を暖かく育む世界の素晴らしさをひしひしと感じるようになりました。

それは上辺の「幸せだなあ」ではなく、体の中から暖かくなるような感覚でした。

行動を改めて、自分のきちんとしたところ、自分の素晴らしさを世界に見せつけたい、そう思いました。

これまでの世界に対しての愛情から、自分の知識を乗せておけるウェブサイトを作ったのがきっかけで、個人事業として仕事を進めることとなりました。

起業することが夢というわけでは全くなかったので、思いもしなかったスタートアップのストレスの祟り、今度は別の診断で体が痛くて働けなくなったりもしました。

1日150円しかなくて、売れない漫画家のような、近所のパン屋でパン耳を買う、ということも行いました。

不安で心が張り裂けそうだったので、朝起きて、心の中をメモ帳に書きなぐりました。

それは全く理路整然とした美しいものではなく、「なんでこんな目にあうんだー」といった、心に住むわんぱく少年の落書きのようなものもあったが、自分の醜さを目にすることは、逆にお掃除をしているようで心地よいものでした。

不安を書きなぐると、1日が楽に過ごせました。自分に対して不当な行為を行う者も、一目見てなんとなく区別がつくようになった。

完全に当たっているとは言わないが、例えば芸能人のポスターでも、何かを奪われたような感覚になる、自分の心から敬愛、崇拝、を盗み取ろうと巧みにあやつる、そんな陰謀めいたものも、垣間見られました。

しかし粗探しは止めて、とにかく前に進むことに集中しました。お金も現実も既存の世界も、全てを超えられる、そう心に決めたのです。

そう思ったのではなく、自分の世界はそうなんだ、と勝手に心に決めたのです。

その全てを超える創造性で、陳腐な世界を打ち砕いてやるー私の中のわんぱく少年が叫んだのでした。

学び、仕事

体が完全に良いわけでもないし、下手にトラウマ反応があるのに、濃い人間関係を築けるわけでもありませんでした。

お金は、本当に、なかったのです。生活に十分な分は、なかったのです。

しかし、お金は作れる、ものはついてくる、そう信じ、どんな状態にも動じませんでした。

もっと本来の自分を表現することに集中した私の起業は、いまはまだ全力で走ってもいないし、資金調達すら、ぼろぼろです。

しかし、それは大変だけれど有り余る光栄とも言える自由な冒険という名の幸せなのです。

空いた時間でマーケティングの勉強、ソーシャルやコミュニケーションデザイン全般を理解し、プランしてみました。

英語媒体になれているので、より進んでいる世界の情報がすぐにとれるのも私の強みでした。

人から何かをもらう、というメンタリティから、自分の中から何かを与えるという感覚に変わり、やっと中心軸につながった自分を社会に届けることができたと感じました。

それは他の人からすると数年で、または数ヶ月で乗り越えられる薄っぺらい壁かもしれないが、掘り下げた分、私は、より世界への理解を深められたと思います。

お金がない、というよりは、SOHOのオフィスと、無限に広がる世界があるのです。

完璧な健康はないかもしれないが、病気は才能、チャンス、だったりする、という考えにも出会い、そこからも学ぶ心が自分にはあるのです。

東京に戻り、マンスリーマンションを転々として、やっと落ち着いた私は、自分を責任もって褒めたり育てたりすることもできるようになっていました。

これからは自分で営業し、自分でコンサルし、自分でお客様のビジネスにサービスを提供するのです。

形のないサービスを取り扱い続けた私には、ゼロで無限大のこの不安定な世界も、幸せに感じることができました。

海外ビジネススクール、MBA

ところで、「何かに動かされているようかの感覚」がまだ続いていました。スピリチュアルサービスでつながった女神様なのでしょうか。

数年前から辛いので教会通いを続けていた自分には、そのスピリチュアルサービスも購入しながら意味を理解できるものではありませんでした。

しかし自分以外の大きな力に守られている感覚の中、やみくもに次の道を探す私にMBAの道が開かれました。帰国後、エッセイなどを書いてみるとすぐに合格しました。

初めから良い印象を受けるスクールではありませんでしたが、私は、自分を受け入れることや自分を好きになる、自分と共生することを目標に入れていたので、これは自分の鏡だろうと思い、その荒削りな宙に浮いた外面だけ整えたように見えた比較的新しいビジネススクールに入ることにしました。

実家の仏壇に手を合わせると、父方の祖母の声がしました。(したような気がしました)スクールへお金を入金しなさい、と言われたのです。

体に不安が出て診断書も出てしまったため先には進めないが、手続きだけ行うと、信じられないような、生活の向上の兆しを感じることができました。

通訳を目指しているんだ、と、自分を勘違いした私に言っていくれた、父の「学校に行けば、また友達ができるよ」という言葉を思い出しました。

本当の自分は、形決まったプロフェッショナルサービスを提供したいのではなく、この奇想天外な発想と思考、コミュニケーション、理解、対応、行動力などを活かして、新しい世界を切り開きたいんだと思います。

世界を楽しく明るく美しくしたい。人生のパズルピースがだんだんと組み合わさっていきました。

海外へ

海外への進出、国境を越えたビジネス、それも、起業は一年以内に、実現できました。

父は、シンガポールから帰った私に、「今度はアメリカ行くんでしょ?」と言っていました。そうなると嬉しいが、果たしてどうなのでしょうか。

この起業が、最後の転職活動だったらいいなあ、そう思う反面、どこかの会社に入ることへの未練が残ります。

しかしビジネススクールを訪問した時にもらったキャリアの本には、「かけられるだけ時間をかけて仕事を探したほうがよい」とも書いてありました。

歯を食いしばって一人で頑張っていたら、過去へのコンプレックスも、誇りへと変えることができました。

嫌悪感を持っていたもの、自分の中の嫌いな部分や批判的に見ていた世界も、敬意を持って愛すべき対象として見ることができるようになっていました。

ようやく開いた明るい扉と自分の世界を大切にし、これからも大いに世界に還元したい、と志新たに日々喜び勇んで前進しています。

この記事の筆者

小沼ちづるさん(仮名)

転職歴は派遣も含めて10回以上、現在個人事業主としてビジネス展開。

業種は広告、マーケティング代理店、病気退職から英語系海外系事務派遣で生活。

本当の自分と向き合うことの大切さをみなさんにお伝えできればと思います。

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