【第10回】女性である私の転職~シンガポール就職~

体験者の情報
名前:小沼ちづるさん(仮名)
性別:女性
転職経験:10回以上
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:22~35歳

シンガポール準備

それまでの不安な心を引きずる私と違い、この頃にはもう、直感を信じて、自分を感じながら、人生を大切に生きることが、だんだん出来てきていました。

しかし、体調不良と肉体の不調を抱えたまま決まったこのシンガポール行きは、ほとんどが自分の気持ちや考えをはるか超えたところで決まっていたと感じます。

大切なものを大切にできるように、と願い続けた私に舞い降りた最後のチャンスかも知れませんでした。

蓋を開けてみれば、海外で就職していた、または海外に住むことになった人は実は周りに数多くいました。

学生時代の友人や、仕事関係、はたまた、住まいのマンションの管理人さんに言わせても、あの人も、この人も、となる始末です。

特に大それたことをしているのではない、また、私もようやく孤独からぬけだして皆と同じ土俵に立てたのだ、という半分安心感にも似たような感覚を胸に、JACリクルートメントからの資料やインターネットで調べられるだけの資料に目を通し、保険や荷造り、引っ越し準備を進めました。

これが自分の意識のはるか離れたところで決定されたかのように感じたのには、メディアエージェンシーで出会ったグローバルディレクターたちとのつながりと交友関係も多少なりともこの計画の実現に影響したのかもしれないと思ったからです。

実際に、その中で特に密な連絡を交わしたメンバーは、自分よりもはるかにパワフルな人で、メールが来ただけで、私のウトウトの体が、朝は早起き睡眠知らずの超バリバリボディに変身、あれよあれよと準備をして早朝瞑想や健康づくりに向かうパワーを頂けてしまったのでした。

自分の体が動かされる感覚には本当に驚きました。知性で先々を見えるかのようなメンバーもいました。

パワフルなメンバーと出会い、良い影響を受けることができ、このようにシンガポール終章も実現したのでした。

移住、ユースホステル滞在

さあ、シンガポールへ移動が始まりました。これまで包み隠していた、または自分なりの「受け入れられやすい人物像」に自分を組み込んでいた私ですが、これから一気に解放されるのです。

向かうは南国、シンガポール。日本人も多くいて、その中でもネイティブ並みと称される英語力と持ち前のバイタリティ、企業家精神、前向きさ、行動力、理解力など、私の持つものを遠慮なく、すべてを発揮するぞ、と意気込みました。

何でもできる証拠に、まずは予算最低限のユースホステル住まいを実行しました。ヨーロッパからの学生たちが多くいる、リトルインディアの安い宿です。

日本から予約した安い宿は歓楽街にある清潔感のないものだったため、シンガポールで変更したのでした。

脂っこい食事に暑い気候。同じようにここで働こうと思っている人たちと知り合い、友人となりました。

精神状態がその時どうだったかはわからないが、言い表せない悔しさか怒りのようなものが、まだ心の中にあったことは事実でした。

しかしそんなもの、広い世界では、あるとは言わないほどの極小の苦しみです。

ビーチやジムのプールでほんの数時間泳げば、気分は簡単に回復しました。流れている空気が違うからなのか、本当に東京とはすべてが違いました。神に感謝、です。

あちらこちらにインドや中国の神様が祀られる国、シンガポール。若く、元気なそのエネルギーで、凝り固まったものが溶けていきました。

インターネット応募、就職

東京から応募した米系クリエイティブエージェンシーでの選考結果待ちのまま来星した私は、その間、またJACリクルートメント、パソナ、RGFや現地のクリエイティブ業界専門の人材会社と連絡を取りました。

インターネットで調べていいと思ったところにもすべて応募しました。それは広告やマーケティングにとどまらず、音楽、メディア、コンサルティングなど、様々な方向へ広がりました。想像するだけでも、楽しかった。

仕事を本当に絞れなかったから、本当にたくさんの企業と会って、応募したのでしだ。

ハタから見ると、いい年して方向の定まらないいい加減な転職活動かもしれないが、進めば進むほど、自分にとっては面白く感じました。

結局、選考待ちをしていた企業から採用の連絡が私の元に届きました。しかし、実は連絡が届いたのは、私がバリで小旅行へ行った時でした。

この時、まだ自分を尊重し、大切にすることができなかった私は、急げとも言われていないのに、就業のための健康診断に早く向かうためにさっさとバリを後にしてシンガポールへ戻ってしまったのでした。

この、自分の時間を大切にしたり、休憩を十分にとる、自分をケアする、ということができていない部分が、少しずつ積もっていき、折角のシンガポールですら、後に大きく状態を崩すこととなったのでした。

多国籍就業環境

若く多国籍な就業環境で、私はそのフラットさにまず驚きました。事前に頭ではわかっていて、また国際的な交友関係もあると自負していた私でしたが、年齢を必要以上に気にする自分と内面的に衝突しました。

どこかで自分を認められない、しかし、それが普通の日本では、それであるがゆえに世間に認められるかのような、表現しがたいマイナスな感情がありました。少なくとも、私はそう思いました。

しかし、シンガポールはそうではありませんでした。歴史的背景としても、経済的にも、発展途上ではあるが独特の進化を遂げ、容易に日本に対しても脅威として存在しています。

中国語とシンガポール英語を話す人々がほとんどで、マレー語もよく聞こえました。

彼らの方が残酷なまでに現実的なような気もしました。会社のことは、先に入社した人たちに聞きました。

新天地の転職で、リクルートジェンシーの連載を読みながら、どうするべきか考えて行動しました。社内は皆親切で、いろいろ教えてくれました。

しかし私の中の辛い暗い部分が癒えておらず、結局は大きな働きもせず、なんとなく慣れてきたころに、正社員としての確定なしで終了しました。

人事の方には、ソウルサーチをした方がいい、とまで言われてしまいました。

もっといい仕事をした方がいい、とも言われました。ソウルサーチは自由奔放な20代前半にしたつもりでしたが、彼女の意味するところは理解できなくもありませんでした。

つまり、自分をしっかり面倒見て、自分を本当に大切にしている土台のない自分探しは、虚像を見ているようなもので、すべてが浮き足立っていたのです。

地に足ついたシンガポールで働くビジネスマンやエクスパットに比べれば、私の不具合は確かにおかしいものでした。

先に進まない、暗くなる、何か壁を作る、そして、幻聴、瞑想神経症、心因性の症状。

私はかわいそうと思ってもらって注目を集めるのが好きではないタイプだったので、そのように行動してしまっているような自分を、恥ずかしく感じました。

就業が終わっても諦めずに次を探したし、また、よりよい仕事も紹介されたが、結局JACリクルートメントへ立ち寄り、相談をしました。

私の様子を見て、闘病を経験されたというコンサルタントの方がご自身のお話をしてくださいました。それは、うまくいかないのは、何かかもしれない、というものでした。

そういったワンネスのようなホリスティックな考え方はわかっている、スピリチュアルも学んだ私はそう言いたかったと思います。

しかし、話は続き、私は結局、納得しました。私は頭でわかっていても、本心ではそう思っていなかったのかもしれません。

もしかして、自分に大きな病気が隠れているのかな、とも不安に思いましたが、結局彼女のオススメの教会へ行ってみることにしました。

この記事の筆者

小沼ちづるさん(仮名)

転職歴は派遣も含めて10回以上、現在個人事業主としてビジネス展開。

業種は広告、マーケティング代理店、病気退職から英語系海外系事務派遣で生活。

本当の自分と向き合うことの大切さをみなさんにお伝えできればと思います。

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