【第5回】女性である私の転職~療養~
- 体験者の情報
- 名前:小沼ちづるさん(仮名)
性別:女性
転職経験:10回以上
現在の年齢:35歳
転職時の年齢と前職:22~35歳
実家に戻り、向き合う
そうこうして、実家に戻ることになりました。不幸の元が地元にあることは薄々気づいていました。
または、潰されたままの自我が普通にのんびりしていてはそのままの人生になってしまうことも気づいていたのでした。
そもそも、母親には、「ビックになる」と、売れないロック歌手のようなことも言いいのけて上京したのです。
子供の頃、頭に描いたのは、お姫様のような憧れの女性ではなく、戦場で言葉で敵を説得するという、勇ましい自分の理想像でした。人生観も、子供時代にある程度できていました。
私は、世界中が、学びの出会いでできていて、いろんな色を、人それぞれの目で見て、さらにそれを、神かそれ以上の存在たちが上から微笑ましく見ている、そんな創造性あふれる世界像を持っていました。
しかしそれと同時に、近所では「自殺の名所」と称される、その地域では一番に建った高層マンションに住んでいた私は、幼稚園の頃から自殺した方の遺体を目の前に見て、幼馴染と怯え逃げたりもしました。
小学生の頃には、通り魔にエレベーターで首を絞められて死にそうになったりもしました。そんな暗い思い出の残る実家へ戻り、また、自分と向き合ったのでした。
「上京したが、失敗だった」、と言って、諦めて帰ってきた元同級生にも会いました。
しかし、夢を見て上京しただけでもない私は、うまくいかなくて実家に戻る、という筋書きすら、誰かの手中にはまったままなような気がしてならなかったのです。
しかし、この脳裏に巣食う「間違って支配されている」という考えは、文字通り、不当に利用されたり、性悪な人にのさばられたりするという現実への主観的な解釈と別に、そこを恨むゆえの変な持ちつ持たれつがあるから守られる悪い関係にこびりついた無責任な考えでした。
世界と健康につながり、大きく羽ばたきたい、そう願う私は、大量の人々にひどくいじめられるという形で、世界と、大きく、は繋がったわけなのですが、イマイチ、全てが何かずれて、全部が良くありませんでした。
その発端となったのは、会社での悪い人間関係でした。
曲がった男女関係、恋愛感情、依存関係、欲望、利用、支配、権力争い、金。
これらが、清く正しく働くことを良し、と考える自分の頭上で不当に蠢き、それゆえに自分は貧乏職なし病院通いの不幸から抜け出せないのだ、そう思ったのでした。
そのように嫌悪したのも、それが本来の自分の姿ではない、と確信していたからだったのですが、その時にはまだ、人生の幸せに責任を持つ、という考えにまでは達しておらず、様々な出来事を周りのせいにしてしまっていたのでした。
ストーカー、共依存
新卒で勤めた会社の外国人先生が私のストーカーのように凶暴化してしまったという事件から長い月日が経っていたのですが、結局今度は派遣先のゲーム会社で自分が何かの力に動かされる形で意味不明なメールを自分に色目を使う男性に送りつけることになってしまいました。
もうこれは、言葉では説明できない、何か誰かのために自分の一番大切な正義を簡単に犠牲にしたものでした。
善悪の判断ができない、と思われても仕方なかったかもしれないが、それだけを切り離さずにみれば、この帰郷の原因は、若い男性社員とその仲間達からの、私の精神がおかしくなるほどのいじめにありました。
しかし、やり返しても、結局解決にはならないのです。混乱の中でも、どこかで成長しないと先はないのです。
しかし、 逆に言えば、成長すれさえすれば、先はある、と考えました。
自分の中の曲がりくねった感情と理論的に自分を裁く声。自分を責め続けた私は神経衰弱ですでに幻聴も常時ありました。
しかし、後にインターネット検索でスピリチャルサイトを見て、「自己中心的すぎると神経症になります」と書いてあることをみて、自分の姿勢を少しずつ省みたりもしました。
結局私は自分の力を過信し、助けを求める方や自分を欲しがる方へ優しくしたつもりで、人間の力の大きさ、怖さを認識せず深入りし、恨みを買って、職を失ったのです。
または、職を失うことに、少し関連するような影響を受けたのです。向き合って見出したものは、自分の中の、深い人間関係の傷でした。しかし、頭で考えてもどうしようもありませんでした。
全て自分が悪いとも思えなかったのです。無職、ということへの羞恥心はありました。
それほどに、仕事を死守できなかったのです。つまり、自分の責任の範疇もあるのですが…。
直感、自分の中の神
実家に帰って、この期間を自己啓発やスキルアップに使うだけでなく、心身の向上にも当てよう、と考えました。
ヨガやジョギングは続け、できるだけたくさん歩くことにしました。
しました、というより、からだを動かすことが好きな私は節約生活の中で歩く、走る、を止められなかった、という方が適当な表現かもしれません。体は一連のいじめで40キロ前半から30キロ台に減っていました。
しかし、体重は減っても、はつらつとした健康な輝きはまるでありませんでした。
ただ、狂気の中で、「おかえり」と言ってくれる実家があっただけ、本当に救われました。
その分、これからは何があっても親には優しくし、幸せに生きてもらいたい、その助けを少しでもしたい、と心に誓ったものでした。
その後、その好意すらもありがた迷惑を含むこととなるが、両親に恵まれて本当によかったと感謝しています。
それと同時に、とまらない幻聴と、いじめられた職場を訴えなければ、と考えること、また、幻聴を聞きながら、自分の頭の中で自分で考える声はどれなのか、少しわからなくなりました。
しかし、私は子供の頃に、「内心、外心」と自分で名付けた、心のひだを内観していたので、なんとか生活はできました。
また、その頃から流行しだした、瞑想や直感を信じること、などを本で学び、実践しました。
お金がない中、 自分の夢は叶うためにあると信じ、何の仕事の予定もないのに、今後は海外出張に行く、と決めて、そのためのスーツケースを購入しました。また、パスポートも更新しました。
仕事の予定はあいかわらずなかったのですが、信じる力は強くなっていっていきました。
家族への見解
これほど家族に迷惑をかけておいてさらに文句を言うことは全くもって許されませんでした。
しかし、私を苦しめたのは、家族への文句ではなく、家族に馴染めないことでした。
一人別な気がする、といった類の、よくある疎外感だったかもしれません。
それはつまり、何かの拍子に愛情を感じられない状況におちいったのか、自分は特別余計に気を配らなければ仲間に入れてもらえないような感覚、さらには、自分だけは、際限なく貶められ続けるような感覚。
自分の被害感情がひどすぎるのだと信じていたのだが、病気や被害、身心不安定のため友人付き合いを希薄にしていたためにこの被害感情が明白になってきたこともあり、友達に恵まれたがためにオブラートに包まれていた家族、ないし家族関係にまつわる暗い部分が浮き彫りとなるよい機会でした。
時には、この時期には家族が呪われているように見えたものでした。そして、家族全員が不幸に見えました。
周りにはもっと辛い思いをしている方々は多くいるので、そのような見解は家族内でも共有することさえ許されませんでした。
思えば、家族で温かく肩を抱き合ったり、励ましあったりすることはありませんでした。
どこか対抗意識、差別意識、互いへの批判があり、真に認め合うことがあまりなかったのではないだろうか、とすら感じます。
頼りあうから誰かを悪者にしたがる、そんな関係性もうっすら透けて見えたものでした。
しかし逆に言えば、一人一人が精神的に早くから自立し、それぞれが強いとも感じました。だからこそ、また頑張ることが出来たかもしれません。大切なものを大切にしたい、その時心から思いました。
この記事の筆者
小沼ちづるさん(仮名)
転職歴は派遣も含めて10回以上、現在個人事業主としてビジネス展開。
業種は広告、マーケティング代理店、病気退職から英語系海外系事務派遣で生活。
本当の自分と向き合うことの大切さをみなさんにお伝えできればと思います。